元となる内容はあるのか?!?―「情報発信(アウトプット)」の前提にあるもの―Ⅰ

私はこれまで「情報発信(アウトプット)」の重要性を散々訴えてきました。

それは日本人が自己アピール或いは自己プレゼンテーションがあまり得意ではなく、特に地方企業の経営者においては、その点で大いに後れをとっているのではないか、ということを憂慮してのことでした。

 

ただ、これには欠かすことのできない大事な前提があっての話になります。

それはいうまでもないことですが、「元となる内容が伴なっていなければならない。」ということです。

 

「昔からいい商材を持っているのだが世間にほとんど知られていない」

とか

「訴えたい素晴らしいメッセージが内在しているにもかかわらず伝わっていない残念な状況」

とかいった前提があっての話なのです。

こちら側に特に何もないプアなままで何か訴えようとしても、おそらくそれはテクニック的な内容に終始するだけで、真の意味での「情報発信(アウトプット)」としては成立しないことになります。

 

この点をかなり意識していなければ「情報発信(アウトプット)」そのものが意味のないものとなる、というテーマで書かれたコラムを読む機会があったのでご紹介したいと思います。

それは近年「新・観光立国論」などの著書で有名になった、京都在住のイギリス人アナリストのデービッド・アトキンソン氏の書かれたものです。

 

このコラムの中でアトキンソン氏は次のように訴えておられます。

まずそのタイトルが刺激的です。

「金を落とさない観光客がたくさん来てもそれは単なる観光公害

この強烈なタイトルに続く内容はどんなものなのでしょうか。

「観光施策=情報発信」という勘違い

 国内を中心とした、「整備より、とりあえず多くの人に来てもらえばいい」というモデルからすると、当然、「観光施策=情報発信」が観光戦略の基本となります。

なぜ観光収入8兆円の達成が難しいのか、その理由の根っこには、いまだに日本に根付いている、この「観光施策=情報発信」という昭和時代のマインドがあります。

 

 事実、多くの観光地では現在、外国に対して「とりあえず情報発信すればいい」という観光施策を実施しています。

 

 誰も見ていないホームページの開設や観光動画の掲載、誰もフォローしていないFacebookでの情報発信、ゆるキャラやキャッチコピーを使ったブランディング、交通機関頼みのデスティネーションキャンペーンなど、昭和時代のマインドのまま展開されている情報発信の事例は枚挙にいとまがありません。―

 

         アトキンソン氏の著作。氏の意見には賛否両論あります。

つづく