肝心の中身が充実していない!?!―「情報発信(アウトプット)」の前提にあるもの―Ⅱ
これまで「情報発信(アウトプット)」の重要性を散々訴えてきた私にとって、デービッド・アトキンソン氏(「新・観光立国論」などの著書で有名な京都在住のイギリス人アナリスト、菅元総理のブレインとしても知られている)の、「観光施策=情報発信」という勘違い、というお話は結構ショックなものでした。
アトキンソン氏は、「観光施策=情報発信」という昭和時代のマインド、とまで言っておられます。
「情報発信(アウトプット)」を、現代の重要なビジネス戦略として訴え続けてきた私にとって、このアトキンソン氏の説は、全く逆のことを言われていることになります。
それどころか「昭和時代のマインド」と、まるで賞味期限のとっくに切れたコンセプトのように切り捨てられているのです。
こういった食い違いはいったいどこからくるのでしょうか。
それはなんといっても、日本の観光施策(国及び地方を含む)の貧困さを訴えておられるから、ということになります。
私が冒頭にも書きましたように、「情報発信(アウトプット)」は、世の中に訴えたい充実した中身が伴なったものでないと意味がありません。
アトキンソン氏の指摘される日本の観光行政がプアである理由は、「情報発信(アウトプット)」そのものが目的となっているからにほかなりません。
つまり、その「情報発信(アウトプット)」のもとになる観光資源の在り様が、内容の伴なったものになっていないことにその要因があります。
この指摘を見ていると、日本の国内産業の中には、いろいろな面で課題を抱えたものが多いなあ・・ということを実感させられます。
これは、観光産業だけの問題ではないのです。
つまり、それなりの実績や力のある商材なりを持っていても、広告宣伝、或いは情報発信が下手なためにそれが世間に全く伝わっていない、というジレンマがある一方で、広告宣伝や情報発信はそこそこ実践しているものの、肝心の提供する中身がまるで充実していない、という現実があるのです。
いずれにしても、日本経済が世界の進捗状況に比して、かなり後れをとっていることの要因になっているのではないでしょうか。
素晴らしいロケーション、といった観光資源はあるのですが・・・
つづく