贅沢なダウンもあるのか!?!―ダウンウエアの思ひ出―Ⅶ

さて、今回ダウンウエアについて散々書いてきてふと思うのは、たかだか着るもの一つのアイテムについいてこんなにもいろいろと書けるもんだ、ということである。

以前、コートについて書いたことがあったが、そのときは今回をはるかに上回る文字量であった。

 

あれを書いていたときも、あんなに書けるとは思わなかった。

しかし、記憶の軌跡をたどっていたら、いつの間にか大変な文字の量になっていたのである。

今回、ダウンウエアの記憶をたどりながら思うのは、単なる「着るものの思い出」というわけではない、ということである。

 

あの当時の若者の風俗文化、何を考えどんな行動をしていたのか、一体どのような事象に強く影響されたのか、といったことが、ウエア一つの思い出から、次々と導き出されてくるのだ。

特にファッションというのは、そのビジュアルとともに記憶に刻まれるので、他の記憶よりもより鮮やかに蘇るのかも知れない。

 

さらに、その服とともに必然的に思い出されるのが、そのときつき合っていた女性ということもある。

恋愛シーンにおいてファッションというのは、欠かせないアイテムの一つではなかろうか。

着るもの一つで、ちょっといい思い出になったり、逆にトホホな悲しい結末のシーンだったりと、恋愛にまつわる記憶というのはある意味鮮やかに焼き付いていたりする。

 

まあとはいえ、ダウンウエアについては格別そんなシーンも浮かんでこない。

ダウンというのは、なんといっても、寒さを防ぐための画期的な衣料としてのその機能性のみが突出していたような気がする。

 

ただ一つあるとすれば、カミさんがまだ結婚する前、かなり高価なダウンハーフコートを買ったときのことである。

結婚前、ペイペイの私よりはるかに金回りの良かったカミさんは、自分のポケットマネーで、ファッションブランドのダウンコートを買った。

 

当時で7万円くらいだったと記憶しているので、今だったら優に10万円は超える品質のものだっただろう。

前述のように安いものやアウトドアブランドの機能重視のものを探して買っていた私の立場としては

「へぇー、ダウンでも贅沢するんだ。」

と、半ば感心して見ていたような気がする。

 

クロのダウンコートを持っているので、ちょっと悪ぶってみました。

つづく