「努力が報われない」という衝撃的な事実―「仕事ができる」とはどういうことか?を読んで―Ⅴ

「モテる」という事実を獲得するのにスキルは役に立たないという持論を展開される楠木健氏と山口周氏のお二人。

もちろん「女性にモテるか否か」が今回の主たるテーマではありません。

 

「仕事ができるということは?」というメインテーマに関して「スキル対センス」という対立軸で考えた場合、どうなるでしょうか?

スキル偏重の時代とはいえ、例えば、これを「モテる」というテーマに置き換えてみるとわかります。

 

ここにおいては、センスこそ威力を発揮する要素であり、スキルは役に立たないということになります。

まあこれは、ちょっと考えればわかる話で、誰もが

「そりゃあ「センス」がなければ、女性にモテるわけがない!」

という結論に行き着くわけです。

「モテる」云々は、これを証明する格好のサンプルとして登場したのであります。

 

にもかかわらず、世の中にはスキルによる分析を駆使することで、「女性にモテる」という成果を手にしたい、という人たちがいるわけでして。

「女性にモテるためには・・・」というテーマに、「分析」という手法で取り組んだ結果、いったいどういうことになるのか・・・・

 

その行き着く先を、楠木氏は次のように述べられています。

― 分析というのは要素分解です。

モテを要素分解すると、人事の「スキルフルな人たち」が出てきて、モテる要素を大喜びで測定し、挙句の果てにレーダーチャートみたいなものをつくったりする。

世の中よくできていて、この段になると、決まって「こうやったらモテますよ」というスキルめいたものを持ってくるヤツがいる。

なるほど、ということで「モテの要素」をすべてマスターする。

で、何が起きるかというと、ますますモテなくなるんですね。―

いやはや笑ってしまいました。

 

確かに「モテる」を追及して、「スキル」を学習すればするほど、「モテる」に必要な「センス」からは遠ざかってしまう、という相反関係が成り立ってしまうわけです。

挙句の果てに、上記のように、滑稽かつ悲惨な結果に終わってしまうことになります。

 

これはつまり「モテる」という状況は自然と醸し出されるものであり、「スキル」を磨く際に行なう分析的かつ作業的な行為からは生まれ出てこない、ということになります。

ここでは「努力が報われない」という、日本人にとって衝撃的な事実がつきつけられることになります。

 

                山口周氏の代表的著作

 

つづく