「分析」は役に立たない?!?―「仕事ができる」とはどういうことか?を読んで―Ⅳ

私が最近読んだ『「仕事ができる」とはどういうことか?』という一冊の本。

著者は、私が当代きってのインテリジェンスの持ち主と評価している、楠木健氏と山口周氏のお二人。

この本、構成としては、全編対談形式による一冊です。

 

お二人の対談は、「仕事ができる」という統一テーマに関して、多岐にわたる議論がなされるわけですが、その中で具体的事例として「モテる」とはどういうことか、を取り上げられています。

この極めて具体的かつ切実(?)なテーマをどのように捉えておられるのでしょうか。

 

「モテる」という状況を我がものにするために必要なのは、スキルではなくセンスである、というところから話は少し難しくなります。

というのは、スキルは学習によって身につけることはできるが、センスはそうはいかないからです。

 

ところで、スキル偏重の人の中には「分析」が好きな人多い、と二人はおっしゃいます。

その点を楠木氏は次のように述べられています。

―分析調査というのは仕事ができない人にとってとてつもない吸引力を持っているんですね。(中略)

仕事はできなくても、とりあえずの作業はできる。

で、なんとなく人に見せられる資料という成果物はできる。

人に示すことができる形でブツが出てくる。

こういう「作業の誘惑」ってすごい強いんですね。

しかし、それは経営でも戦略でもなんでもない。

 

初めに話したように、「モテる」、これはどう考えてもセンスとしか言いようがないものですが、会社の中にはすぐに「モテ」を分析しようとする人がいる。―

 

このお話の前に、楠木氏は「SWOT分析」を批判しておられます。

「SWOT分析」は、事業戦略を構築する上で長い間用いられてきた経営分析手法の一つですが、お二人とも

「こんなやり方では優れた戦略など出てこない。」

とおっしゃっています。

 

つまり、センスが必要とされる時代に、スキルによって作業的に行なうことが可能な「分析」などというものは、事業戦略を構築する上ではほとんど役に立たない、ということです。

わかりやすく身近な事例として、センスこそが不可欠な「モテる」という状況に対して、スキルの代表のような「分析」を持ってきても、全く馴染まない可能性が高い、ということになります。

 

              これは昔、共著で書いた「社長の仕事」

つづく