お手手つないで幼稚園へ―大人は見ているんだ、と思った日―Ⅰ
私は幼稚園中退組である。
通っている途中で九死に一生の大怪我(以前このブログで書きました)をして入院、退院して2ヶ月後くらいには復帰したのだが、その後、微熱が出たりしたので、何となく行かなくなってしまったのだ。
まあそれはともかくとして、通っているときは、近所のまゆみちゃんという女の子と、お手手つないで歩いて通園していた。
考えてみれば、自宅から幼稚園までは結構な距離で、二人で通っていたとはいえ、今だったら確実に送迎バスに乗るくらいの遠さだった。
あの頃は、そんな子供だけでも、特に危険を感じることもなく、のんびりとした時代だったのかも知れない。
幼稚園にほど近いところを国鉄(当時)の線路が通っており、そこを渡って坂を上ると園の門が見えてくる。
線路には遮断機のある踏切があった。
その手前の道路沿いに、一件の駄菓子屋さんみたいなお店があり、その店の前を通り過ぎたらすぐに踏切だったのである。
さて、ある日の朝、いつものようにまゆみちゃんと二人で、私は幼稚園に向かっていた。
駄菓子屋さんの前を通り過ぎて、ちょうど踏切に差し掛かったとき、遮断機の音がカンカンと鳴り始めた。
今はどうかわからないが、昔の田舎の踏切は、そうやって音が鳴り始めてからしばらくして、ようやく遮断機が下りてくる。
そうして、遮断機が下りてきて、さらにしばらく待たされてから電車が通り過ぎるのである。
ちなみに話は少し逸れるが、初めて東京に出たとき、この踏切においてトータルでかかる時間の短さに驚いたことがある。
警告音が鳴り始めてから遮断機が下りるのも早いし、下りたと思ったら、すぐにゴオーッツと田舎では見たこともないような長い長い電車が通り過ぎる。
さらに、通り過ぎてから遮断機の上がるスピードにも驚かされた。
電車の最後尾が通り過ぎるか過ぎないうちに遮断機が持ち上がり始める。
そうすると、人々は間髪入れずに歩き出し、渡り切ってしまうのである。
すべてが早送りのフィルムのように動くので、田舎から出てきた初めの頃はなんだか圧倒されたものだ。
田舎では、遮断機が下りるのも電車が来るのも、通り過ぎたあとで遮断機が上がるのもものすごく時間がかかった。
今でも、電車が通り過ぎたあと、なんでこんなに待たすんだ、と腹立たしく思うことがある。
つづく