ドイツ文学が最もしっくりきた―文学全集、一家に一セットあると思っていたあの頃―Ⅸ

「少年少女文学全集」から入っいって、やがて大人向けの「世界文学全集」や「日本文学全集」の作品も読むようになった私。

世界の文学の中で、特に興味を持ち惹かれたのはロシア文学とドイツ文学であった。

 

ロシア文学を代表するのは、なんといってもトルストイとドストエフスキーであろう。

中でも、ロシアのドストエフスキーにははまってしまい、後年、個人全集まで購入し、難解で長編の多い彼の全作品をなんとか読み切ったのである。

 

トルストイにも「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」など大作が多い。

これらは映画化もされているので、そっちの方でご存知の方も多いのではないだろうか。

トルストイも「世界の文学」の収録作品を読んだ後、個人全集まで買おうかな、とも思ったが、結局、そこまでは至らなかった。

 

ロシア文学は、上記の二人を中心に、そのほかツルゲーネフやチェーホフなどの作品にも触れた。

以前は、国全体としてもロシア文学を好むという土壌があったのではないか。

今はどうだろうか。

 

しかし、国別でいえば、なんといっても好んで読んだのはドイツ文学であった。

私にとって、世界の文学の中ではドイツ文学が最もしっくりきたのである。

 

何故、ドイツ文学が一番しっくりきたのかはわからない。

おそらく、文学においても底辺に流れる生真面目なドイツ人気質が、日本人である私の気質とのマッチングがよかったのかも知れないが、これは何ともいえないところである。

 

というのは、そんな文学体験から少し離れて、自分の全般的な性格を振り返ったときには、どちらかといえばかなりいい加減でアバウトなラテン気質の方が、私には相性がいいような気がしているからである。

そういえば、ラテン気質の代表格であるイタリアの文学というものにはほとんど馴染みがない。

思いつくのはダンテの「神曲」くらいだろうか。

 

私が、ドイツ文学でまずハマった作家はヘルマン・ヘッセであった。

当時、ヘルマン・ヘッセはドイツ文学の枠を超えて、いわば「青春文学」の代表格だったような気がする。

 

まず「車輪の下」という作品に衝撃を受けた。

これは地方の秀才だった少年が、全寮制の進学校に進んで、そこで様々なプレッシャーについて行けず、次第に精神を病んでいくという物語である。

 

これは、地方から期待されて進学校に進み、やがて挫折した、という自分がたどった履歴に重ね合わせ、激しく魂を揺さぶられたことを覚えている。

この作品は、あの頃何回も読み返したのではないかと思う。

 

        河出書房新社の「ドストエフスキー全集」一応読み切りました。

つづく

 

今日の川柳コーナー

◆青春の ドラマじゃ我が 主人公

◆文学で 世を憂えてた あの頃は

なんか逃げ道だったような気も・・・