眼前に迫る電動ノコ―九死に一生を得た話、もしあのとき・・・・・―Ⅳ

近所の大学生のお兄さんの自転車の後ろに乗って、海の方へ遊びに出掛け、高さ7,8mの堤防から転げ落ちて大怪我をしてしまった私。

地元の病院での応急処置を済ませた後、鹿児島市にある「県立病院」という大きな施設にしばらく入院して治療することになったのである。

 

今なら一ケ月というのは、あっという間に過ぎるくらいで、大して長くも感じない時間である。

しかし、入院したとき、まだ幼稚園児であった私にとって、それはひどく冗長な時間に感じられた。

 

覚えているのは、両親がおもちゃをいろいろと買ってきてくれたことだ。

電動の自動車や飛行機などだったような気がする。

 

それを動かして遊んでいたら、回診に来た若手のお医者さんなども興味を持って、一緒に遊んだりしたのを覚えている。

あれはまだインターンかなんかの青年医師だったのだろうか。

 

病院の消灯は確か9時だったと思うが、当時私には聞きたいラジオ番組があった。

それは「石原裕次郎アワー」といって、当時、人気絶頂だった石原裕次郎がパーソナリティを務めるラジオ番組だった。

 

私はというかおそらく母が、婦長さんに特別許可をもらってそれを聞くことができた。

とにかく、幼稚園児だったにもかかわらず、映画っ子だった私は石原裕次郎の大ファンで、その番組を楽しみにしていたのだ。

 

入院中、印象的に覚えているのは、ギプスをしていた男の子ことである。

私の病室の近くに、複雑骨折でもしたのか、ガチガチの石膏ギプスで足を固めていた男の子がいた。

 

私が入院してしばらく経ったある日、その子のギプスを外すときがきた。

今はどうか知らないが、その頃、石膏ギプスを外すには、小型の電動鋸(のこ)でギプスを切断する方法が用いられていた。

 

丸鋸がウィーンと回り始めたら、男の子の顔が恐怖にひきつった。

石膏で固められているとはいえ、自分の身体に超接近して直接高速回転の丸鋸が当てられるのだ。

 

男の子は、目の前に迫る電動鋸を見て

「ウワーッ嫌だ。怖いよー。嫌だよぉーっ!」

と大声で泣きだした。

見ている私もあまりに恐ろしい光景に息を飲んだ。

 

結局、大人が数人がかりで押さえつけて、ギプスを切断し、無事に取り外すことができたのである。

男の子は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

 

その光景を見ていて、幼い私は

「ギプスをはめるような怪我は絶対したくない。」

と思ったことを覚えている。

 

つづく

 

今日の川柳コーナー

◆じいじとは LINEの動画で ちょうどいい

東京在住の孫となかなか会えなくて・・・

でもまあ、このご時世、密になるよりは

動画で無事を確かめ合うくらいがいいのかも・・