たった一度の経験、大病院に入院―九死に一生を得た話、もしあのとき・・・・・―Ⅲ

親しくしていた近所の大学生のお兄さんの運転で自転車の二人乗りをしていたとき、町はずれの海岸にあった堤防から転げ落ちて大怪我をした私。

怪我の縫合やら折れた肋骨の補強のため胸にグルグル巻いた大きな絆創膏のことなど、その日のことは、もう60年以上経っているにもかかわらず、比較的鮮明に覚えている。

 

おそらく一晩は、その治療をしてくれた病院に泊まったのではないかと思う。

次の日にはたぶん家に帰ったのだろうが、そのあたりの細かいことははっきりとは覚えていない。

 

この怪我にまつわる次の記憶は、大きな病院に入院したときから始まる。

顔の傷がひどかったからか、肋骨の骨折の大事をとったからかわからないが、とにかく、私はその大きな病院に入院して治療することになったらしい。

 

入院したのは、当時、私の住んでいた町から1時間ほどかかる県庁所在地の鹿児島市にある県立病院だった。

県立病院は大きなビル作りの病棟が何棟かある大規模施設であった。

 

怪我をした後、私の治療については、とにかくそういった大きな病院でしばらく様子を見た方がいい、とでもなったのだろう。

私は、その大病院である県立病院に入院することになったのである。

 

私がこれまで生きてきた中で、入院したのは後にも先にもこのときが初めてである。

その後、幸いにも大きな病気や怪我にみまわれたことはなく、入院というのはしたことがない。

 

まだ幼稚園生であった私にとって、その入院期間がとてつもなく長いものに思われた。

ところが、あとで聞くと、それはわずか1ヶ月だったのである。

 

この入院については、長かったような気がしたのと、そのほかはところどころ印象的だったことを思い出すくらいで、そんなにはっきりとした記憶はない。

まだ幼かったから、親はずっとついていたのだろうか。

それともときどき見舞うだけだったのだろうか、といったこともぼんやりとした記憶しかないのだ。

 

つづく

 

 

今日の川柳コーナー

◆家飲みの ボトルもそろそろ 空になり

◆カミさんの お酌は期待できませぬ

そろそろ、外でボトルキープしたいなあ・・・・