「器量」が感じられなかった・・のでは?―50年来の友情消える?!?―Ⅴ

大学のOB会の会長職を、前会長であった50年来の友人(故人)に推挙してもらえなかったのが残念でならない、という内容の新聞の人生相談コーナーに回答する出久根達郎氏。

推挙しなかったのはそれなりの理由があったのではないか、という点を遠回しに述べておられる。

 

出久根氏は、いろいろ配慮しながら回答されているが、この件は

「まあそういう話だったんだからしょうがないんじゃないですか。」

というところで終わりでもいいのかも知れない、と私は思う。

しかし出久根氏は、様々な内容の相談が寄せられるこういったコーナーの回答者らしく、もう少しこの相談者をフォローする形で次のように指摘しておられた。

 

― 悔しい胸のうちや、恨みつらみを、友人に打ち明けなかったのはよかった。

そんな告白は友人を悲しませますし、あなたの器量を下げるだけです。

あなたは良い友人を持ちながら、友人の素晴らしいところを学ばなかった。

もったいないことでした。―

 

まあなんと親切な回答なんだろう、と私は思う。

この出久根氏の言わんとする意図を相談者の70代男性は理解できるだろうか。

 

「器量」という言葉が出てきているが、まさにそこがこの人の最も大きな課題なのであろう。

亡くなった友人も、相談者に対してこの「器量」が感じられなかったので、推挙できなかったのであろうことは察しがつく。

 

逆に、亡くなった友人という人物にこの「器量」を感じる。

それは会社で出世したり、大学のOB会の会長職を務めたりしたからではない。

 

それは最後に、明らかにその後釜を狙っていたであろうこの相談者に会長職をあえて譲らなかった、という点にある。

先述したように、おそらく亡くなった友人は、相談者の彼が次期会長になりたくてたまらない、ということを知っていたのではないだろうか。

 

しかしあえてそうしなかったのは、出久根氏が書かれているように「あなたに恥をかかせたくなかった。」ということなのではないかと思うのである。

この相談者から見れば、そういった冷徹な決断ができた、というところに、この亡くなった友人の「器量」を私は感じるのである。

              男の器量かあ・・・

つづく