地位や名誉、男のマウンティング―50年来の友情消える?!?―Ⅵ(おしまい)

大学のOB会の会長職を、前会長であった50年来の友人(故人)に推挙してもらえなかったのが残念でならない、という内容の人生相談。

推挙しなかったのはそれなりの理由があったのではないか、という点を遠回しに、私から見ればかなり親切に回答されるのは作家の出久根達郎氏。

 

思いが届かなかった最も大きな要因は、この相談者と友人との「器量」の差にあったのではないか。

その「器量」の違いをやんわりと指摘されたあと、出久根氏は次のように述べて締めくくられておられる。

 

― 今からでも遅くありません。

人に尊敬されているかたの、せめて立ち振る舞いを見習ってみてはいかがでしょう。

まねすることも勉強です。

心の整理もつきますよ。―

 

まあ、出久根氏は「今からでも遅くありません。」と述べてはおられるが、70歳を過ぎた人間が果たして変われるものだろうか。

今さら、他人の立ち振る舞いを学習できるものだろうか、との疑問は湧くが、最後に「希望」を残すのもこういった相談に対する回答者の礼儀というものだろう。

 

今回のこの相談を読んでいて、男性のマウンティングというところに思いが至る。

男というのは、年を経ても、いや年を経るほど、どこかで名誉や地位といったものを求める動物なのかも知れない。

そこに対する願望や欲求がほとんどない私には、ここの感覚がよくわからないのだ。

 

例えば私が「友情」というものを本質的なところで捉えるとすれば、それは損得抜きのものでなければならない。

あいつのためなら、何も言わずに一肌脱げる、というのが私の想定する「友情」というものである。

 

そういう意味では、俺はこの相談者とは随分価値観が違うのかも知れないな、とも思う。

大学のOB会がどれほどのものかわからないが、友情がぶっ壊れるほどのインパクトがあるのだろうか。(ちなみに私も出身大学のOB会には一応所属していますが、そこでの地位肩書が欲しいなど考えたこともありません。)

 

出久根氏が最後に書かれている

「人に尊敬されているかたの、せめて立ち振る舞いを見習ってみては・・」

という点では、私にも身近に素敵な人(女性が多い)が少なからずいるので、あの方たちを大いに見習っていこうと思っている。

          なんにもなくてもいいじゃないですか。

おしまい