「いじめられ光線」を自ら発しているのでは?―「学歴」・・・この古典的な悩みを考える―Ⅲ
「学歴」というテーマでの悩み、ということで読み進めていった今回の「人生相談」コーナー。
よく見てみると、悩みの本質は「学歴」というよりは、このいじめている先輩とやらの「人格」の問題ではないか、というところに行き着くような予感がしてくる。
相談者の悩みは次のように締めくくられていた。
― 今まで学歴を意識することはほとんどありませんでした。
しかし、毎日のように言われ続けているうちに、最近は生徒に大学進学の話をする時も
「○×大卒の私が話をしてもいいのだろうか」
と思ってしまうようになりました。
気持ちの整理の方法をご助言お願いします。―
この結論を読んで「やれやれ可哀そうに・・・」と思う。
まあ、おかしな先輩が職場にいたばかりに気の毒なことである。
と、ここまでは同情しつつも、この相談者の彼のことに少し触れたい。
ここまで通して読んでみて、この相談者、少し人が良すぎて、気が弱い人物なのかも知れないな、と思った。
もし、このしょうもない先輩が、ほかの自分より格下の大学卒の同僚や後輩には、同じような態度では接していないとすれば(おそらくそれはしていないのではないか。それをやっていたら職場にいにくくなるだろう。)、何故か相談者の彼だけがターゲットにされているということになる。
だとすれば、気の弱さからくる「いじめられ光線」を自ら発しているのではないか、とも考えられるのだ。
その兆候が
「毎日のように言われ続けているうちに、最近は生徒に大学進学の話をする時も「○×大卒の私が話をしてもいいのだろうか」と思ってしまうようになりました・・」
という一文に表れている。
まあ、しょっちゅう馬鹿先輩から四の五の言われているうちに、或る意味洗脳されてしまって、すっかり自信を無くしてしまった、という姿が垣間見られる。
可哀そうとは思うが、
「おいおい、もうちょっとしゃきっとしてくれよ。」
という気分にもならざるを得ない。
そうでなければ、指導を受ける生徒たちも気の毒というものである。
私の話をよーく聞きなさい!
つづく