激しい争いごとになる前に「手打ち」ができれば「人間の智恵」―お節介事務所になるのか?「一応やってみましょうか?」のすすめ―Ⅵ(おしまい)

せっかくの先輩税理士の教えを破って、もめている相続案件や針のむしろようなの債権者会議といった、普通だったら遭遇したくもない修羅場に立ち会ってきた私の事務所。

そんな私の方針に立ち会わされる担当の職員もたまったもんではないだろうが、こんな所長のもとで働くことになった運命を受け入れてもらうしかない。

 

さて、あらためて何故こんな火中の栗を拾うような真似をするのかといえば、そこのところをクリアしなければ、こちらの仕事も始まらないからである。

なにも人助け、世のため人のためといったお人好し精神だけでこんなことをやっているわけではない。

 

前述したように、最後は弁護士!ということころまで行けば、法的には決着するのであろうが、そこで人間の感情が納得するわけではないだろう。

同じ納得できない状況であっても、その手前で「まあ、しょうがねぇや・・と、自らに言い聞かせて手を打った方がはるかにましだと思うからである。

 

こういう、決着の仕方は極めて日本人的であって、ひょっとしたら欧米人のマインドには馴染まないのかも知れない。

しかし、

「こんなのは極めて日本人的曖昧な決着の仕方で、良いことではない!」

と決めつけるのは、少し違うのではないかと思う。

 

激しい争いごとになる前に「手打ち」ができれば、それはそれで「人間の智恵」なのではないかと思うのだ。

古典落語の世界などでも「大家さん」や「ご隠居さん」がうまいこと、もめごとを収めてくれているではないか。

 

我々のところの持ち込まれるのは、「刑事的案件」ではなく、ほぼすべてが最終的に「経済的案件」である。

私に言わせれば、こんなのはとっととどこかで割り切って済ませてしまった方が、争っている双方の人生にとってもいいに決まっているのである。

 

というわけで、ややお節介事務所的にややこしい案件にも首を突っ込む姿勢で運営しているが、もちろんそれでもダメなケースも少なからずある。

そういう場合は、残念ながらあきらめざるを得ない。

 

ただ、落としどころといたしては、お互いにとって無理のない無難なポイントをお示しできるといますので、当事者同士で解決がつきそうもない問題が生じたときにはご相談ください。

お話をよーくお伺いした上で、妥当と思われるご提案をいたしたいと思います。

 

        こんな景色のように爽やかにまいりましょう。

おしまい