一度も着ないという人だっているだろう―サマーセーターというタイミング的にはピンポイントの抗いがたい贅沢―Ⅰ

以前、「セーターが好きだ」という内容で、このブログを書いたことがある。

実際、冬のセーターを数えてみると今でも結構な枚数所有している。


中には、ひと冬全く袖を通さなかったもの、もう何十年もタンスの中で塩漬けになっている厚手のものも何枚かある。

このボリュームのあるアウトドア用のセーターなど、おそらくこの先も着ることはないような気もするが、捨てるまでに至らないのだ。


まあ、田舎の一軒家住まいだからこんな調子でもなんとか済んでいるのだろう。

しかし、これが都会の狭いマンション暮らしだったら、とても維持できなかっただろうと思う。


そういえばこの中には、一昨年亡くなった義母に昔編んでもらったものもある。

この手編みのものなど、そう簡単には捨てる気になれない。

今考えれば、よくこんな大変な代物を編んでくれたものだ。

           もう20年以上袖を通したことのない厚手のセーター類。

           まんなか上のノルディック風が義母に編んでもらったもの。

 

さて、冬のセーターはこんな風に手に余るほど持っている。

そこで、暖かい或いは暑い時期に着るサマーセーターという奴はどうだろう?と、振り返ってみたら、これも結構な枚数所有していた。


日本におけるサマーセーターという存在は、ぜいたくな代物である。

高温多湿の日本の気候ではサマーセーターは、なくてはならない、というものではない。

おそらく、緯度が高く湿度の低い乾いた空気の、夏でも朝晩涼しいヨーロッパなどで重宝されてきた衣類なのではないかと思う。


サマーセーターなんて、生涯、一度も着ないという人だっているだろう。

その存在そのものが、ちょっと贅沢な位置づけなのである。


にもかかわらず、そこそこの枚数所有しているということは、きっと私のセーター好きの延長線上にある、ということなのだろう。

今持っているもの、それからかつて所有していて今は手元にないが思い出深いものとかあったら、それを振り返りながらサマーセーターについて書いてみたいと思う。

 

 

つづく