一度ボタンを掛け違えると、修正するのは容易ではない―「裏切り」という行為を通して己を振り返る―Ⅲ
せっかく進学校に受かって、前途洋々かと錯覚していたのも、ほんの束の間のことであった。
結局、成績不良もいいとこで、その学校をあとにせざるを得なかったのである。
それまで、順風満帆、自信満々でやってきた幼少時代から小学校までの流れが、見事に断ち切られた瞬間であった。
周りや自分が抱いていた様々な期待を裏切ってしまったこの出来事によって、そのマイナスをなんとか挽回するのに、その後何十年もの歳月を要したのである。
この「期待を裏切ってしまう」という出来事は、まだ年端もいかない中学生くらいの子供にとっては結構重いもので、今考えてみれば、必要以上に自分を責める結果となった。
現在の私から見れば
「たかが成績の問題じゃないか。気にしない気にしない。」
と笑い飛ばし、励ますこともできるのだが、当時の自分は、何とも取り返しのつかないことをしてしまった、というひたすら自責の念に囚われていたのである。
学生の身として、この「期待の裏切り」を挽回するチャンスは大学受験であった。
進学校を追い出されたとはいえ、大学受験においてそれなりのレベルの大学に進むことができれば、過去の失敗はチャラにできると踏んだのだ。
しかし、残念ながらこれも見事に失敗に終わった。
浪人した上に、希望したレベルの大学に受かることはできなかったのである。
まあこのあとについても、いろいろな意味でそれまで「期待の星」だった私は、これまた様々な場面で期待を裏切り続けることになる。
そういう意味で私は、期待を裏切るということにおいては、他人(ひと)より多くの経験をしているのかも知れない。
この頃について、あまり長々と書いていても仕方がないので、これくらいにしておきたいと思う。
しかし、人間一度ボタンの掛け違えでそれまで順調だった人生の流れが狂ってしまうと、それを修正するのは容易なことではないな、という苦い事実を若干12,3歳くらいにして思い知らされたのである。
明るい未来は遠かった・・・・ような・・
つづく