共同体を作る営み、なるものを実践しているのか?―「言葉」について・・表現力はどうやって磨かれるのか―Ⅴ
言葉というのはただの発信ではなく、話者と複数の相手との共同体を作る営みなのである、と、その本質について高度な解釈をなされる山崎正和氏。
言葉に関する原則について、さらに踏み込んだ解説をされているので、その内容についても押さえておきたい。
それは次のようなものである。
―書き言葉は無限定な相手に向けて、あたかも独り言のように書かれる。
もし誤解が生じれば責任の大半は発信者が取ることになる。
また、共同体の維持を目的とすればこそ、全体に通じる「正しい言葉」を使うという観念も生まれ、各個人もその言葉に従って、感じたり考えたりし始めるのである。―
なるほど確かに、書き言葉を多少一般の人より多く発信している私も、無限定な相手に向かって書いている、といえばその通りである。
もちろんできるだけ誤解が生じないように気をつけてはいるが、「共同体の維持を目的とする」ところまで考えながら取り組んでいるかといえばやや心もとない気もする。
ただ、全体に通じる「正しい言葉」を使う、という点については当然気をつけているつもりだ。
そういう意味では、特別意識せずとも、自然な形で共同体を作る営み、なるものを実践しているのかも知れない。
さて、山崎氏は言葉に関してこれまで述べてきたような様々な前提を述べられた上で、文科省の方針に対して以下のように具体的な提言をなされている。
―文科省の本意は、実社会の役に立つ国語教育を目指す、という点にあるとみられる。
文豪の高尚な叙情や哲学ではなく、簡明で実用的な文章を教えたいということではなかろうか。
それなりに肯けない話でもないので、だとすれば私も言葉を業とする身の責任感から、ここで二つの実現可能な方策を提案してみようと考えた。―
ビジネスということを強く意識すれば、文科省のような方針が出てくることは確かに肯けない話ではない。
これに対する山崎氏の提案される二つの実現可能な方策とはいかなるものなのであろうか。
言葉のプロ。女性アナウンサーと(*^^)v
つづく