「思い」が投影されているのか―本来ロジカルな動物ではない人間に、社長の「情報発信」はどこまで伝わるか―Ⅲ(おしまい)
人が人になにか伝えるとき、その内容は伝える相手の感情部分にまず反応し、そこから入っていく、ということを、発信側はあらかじめ知っておくべきであると考える私。
こういったことを考えていると、経営者がなにか「情報発信」するときには、それが無味乾燥な事実の羅列だけでは済まない、ということに気がつきます。
発信する情報が、本当の意味でこちら側の魂のこもったものでなければならないのです。
そういう点において、例えば会社のストーリーというのは大事な役割を担っているといえましょう。
ストーリーの背景にあるのは論理というよりも、会社が積み重ねてきた数々のエピソードや思い、譲れないこだわり、受け継いできた哲学のようなものが大半だからです。
そう考えてきたときに、経営者のやるべき「情報発信」というものは、おのずとその性格が規定されてきます。
それは単に事実の報告などではなく、それを聞いたり読んだりした人の感情に訴えるだけの「思い」のようなものが投影されている必要があるということです。
そういったある種「熱」のこもった「情報発信」こそが多くの共感を呼ぶのです。
そして、やがてそれを知った人々の深い支持が得られるようになるのではないでしょうか。
こう書いてくると「情報発信」が、なんだか難しいハードルのように思えるかも知れませんが、決してそんなことはありません。
素直に自らの置かれている立場と、それに対する自分の思い、これからのビジョンのようなものを常に表明していけばいいのです。
ただ、こういったことを言葉によって表現できるようになるためには、多少の訓練と粘り強さが必要です。
ここで多くの経営者がめげてしまうのです。
めげない継続的な情報発信を、経営者は何とか踏ん張って続けてみて下さい。
人々の感情を動かした見返りは必ず何かしら良い形で返ってくるはずです。
おしまい