これでいいのだ―確かにこれまで「いい加減」だったけれど・・・―Ⅱ
先輩にちょっとひとこと言われただけで、たちまちその言葉に従うKさんのことを、そのときは笑ったものの、他人(ひと)のことは言えないな、と思う自分もまたいたのである。
それは、その年配の先生が言った「いい年したらこうあるべきだ。」という、極めて世間でよく言われる考え方に対して、決して抗えない自分のことを振り返ったからなのだ。
中学受験後にたちまち挫折を味わい、その後社会人としての出発も他人(ひと)よりずいぶん遅れてしまった私には、常に抜きがたいコンプレックスがあった。
それは、
「今、俺はこんなことをしているけど、それでいいんだろうか?」
という、疑問を抱きながら生きてきたのである。
例えば
「現在、税理士としてこんなやり方で事務所を経営しているけど、なんか間違っているんじゃないだろうか。ほかの人はみんな立派な事務所経営をしているように見える。」
とか
「いい年した社会人のくせに、あちこちで好きなように発言しているけど、もっと腰を据えて世間並みの考え方や行動をとった方がいいんじゃないだろうか?」
とか、なんだか自分を劣った存在としてしか見ることができなかったのである。
常に、自分に対して「ダメだ、ダメだ」と、何かしら感じていた。
それはたぶん、真面目である、とか、努力家である、とか、コツコツなにか成し遂げるといった価値観に対して、そうであるべきだ、そうでなければならない、と思いながらも、全くそうではない自分がいたからだと思う。
進学校に行きながらもすぐに味わった挫折、受験時における失敗の連続、社会人になってからの頓挫、これらはすべて真面目さの欠如、努力する力が足りなかったからにほかならない。
だから、そういった価値基準にまとも向き合えない自分は「なんてダメな野郎だ!」と、えもいえぬコンプレックスに苛まされていたのである。
コンプレックスに押しつぶされそうな自分がいた。
つづく