どんなじじいになるのか?―疎まれもせず、重宝がられもせず・・・が、理想かな?―Ⅱ
生まれた孫と6年間も会えていない、という70代男性の人生相談。
なにかわけがあるのだろう、と読み進めていると、最後まで読み終わらないうちにその原因らしきものを発見した。
「自分は短気で、すぐ感情的になりどなりちらしてしまう・・・」
という自己分析もさることながら、もっと大きな要因は、自分では気づいていないところにあるようだ。
それは、「非常識で無責任な息子・・」という表現や、「息子の嫁の母親を糾弾したい・・・」といった言い回しによく表れている。
「糾弾」とはまた穏やかではない。
「糾弾してやる!」と、けんか腰の人のところへ、わざわざ自分から近づく人間はいない。
文面からすると、この相談者は、謹厳実直な人と思われる。
おそらく子供も厳しく育てられたのではないだろうか。
その息子が、単に「非常識で無責任」な人間に育ったとは思えない。
家庭もちゃんと持っているところを見ると、自分たちは自分たちで立派にやっていることだろう。
その息子を、頭から「非常識で無責任な息子」と決めつけているところに、この人の救いがないのだ。
それが自分ではわかっていらっしゃらない。
相談は、次のように結ばれていた。
―このまま事態を放置し、孫との対面を諦めれば、嫌な思いをすることもなく、表面上は平穏に過ごせます。
しかし、孫に一度も会わずに他界するのも無念で、悔いが残ります。
この問題とどう向き合えばいいでしょうか。―
ここまで読んで、この人はある程度、自分なりに結論はわかっているのだな、と思った。
つまり、どうしても会うとなれば、それなりの軋轢は自分も息子たちも覚悟しなければならない。
しかし、やや残念な気持ちを引きずりながらも、放っておけば残り少ない人生、穏やかに過ごせるのだ。
この相談に対する回答が、極めて的確なものだったので、次にご紹介したい。
つづく