檸檬―ほろ苦き青春の思ひ出―Ⅱ
さだまさしの「檸檬」・・・・私の心に刺さる2番の歌詞というのは、次のようなものである。
―君はスクランブル交差点斜めに
渡り乍ら不意に涙ぐんで
まるでこの町は
青春たちの姥捨山みたいだという
ねェほらそこにもここにもかつて
使い棄てられた愛が落ちてる―
というくだりは、
「なんで俺のことをそこまで知っているんだよっ?!?」
と、叫びたくなるくらい、当時の私の心情を表しているのだ。
お茶の水は学生街である。
といっても、もう何十年も訪れていない。
私の通っていた大学は郊外へ移転してしまった。
今も学生の街なんだろうか。
お茶の水は、総武線の黄色い電車と中央線のオレンジ色の電車が止まる駅だ。
その水道橋側の出口から降りるとすぐに、渋谷のそれよりはだいぶ小ぶりのスクランブル交差点がある。
その交差点を渡った先に、確か画材屋さんがあり、同じ店舗内に「檸檬」という名前の喫茶店も併設されていたと記憶している。
なにせ、40年以上昔の思い出だ。
曖昧な点は致し方無い。
当時の学生街にはいろんなタイプの喫茶店があった。
現在のスタバのような外資のチェーン店は存在せず、もっと単独経営のお店が多かった。
それぞれに個性があり、独自の雰囲気を持っていた。
「カフェ」ではなく「喫茶店」・・・
学生時代、自分の好みやその日の気分、一緒の相手などに応じて店を選び、そこにたむろしては、いろんな話をした。
あの頃私たちは、いったいどんな話をしていたんだろう。
檸檬ではありませんが黄色く色づく秋の紅葉。
つづく