「商業的に見えないように」と「専門的に走り過ぎないように」―社長の「情報発信」あるべき姿・・・香り高い文化度―Ⅲ
経営者の「情報発信」が、コピーライト的では立場上あまり相応しくない、というのが私の意見です。
それでは、社長の「情報発信」はどうあるべきなのでしょうか。
ここはとても重要なところなのですが、私はある意味文学的であるべき、と考えています。
「文学」・・・それってビジネス的な世界からは最も遠いんじゃないの?!
と言われそうです。
そうです。
その通りです。
確かに、そのまま「文学」を持ってきたのでは、ビジネスからあまりにも遠くなってしまうので「文学的」と表現したのです。
「文学」そのものと「文学的」との間には、一定の距離があります。
例えば私の場合、このHPで毎日挙げているブログにしても、ほかで挙げているコラムにしても1本のエッセー(随筆)を書くような気分で書いています。
エッセー(随筆)が文学の一分野だとすれば、私は自分の「情報発信」をエッセー文学風に行なっていることになります。
かといって、その内容が本当に文学的な方向へ流れるということは、通常ありません。
それは、あくまでもその文章の真ん中に「ビジネス」ということは外さないように心掛けているからです。
私が自分の発信する文章に、やや文学的な要素を含ませるのには2つの理由があります。
それは前述した「商業的に見えないように」という点と「専門的に走り過ぎないように」という2点です。
これは他の経営者についても、同様に注意すべき点だろうと考えています。
その道の専門家である経営者が、「書いたもの」で自己表現をする場合は、上記の2点については常に心掛けるべきでしょう。
つづく