有権者が場外から指摘するしかない―「無謬性」という神話を打ち破るには―Ⅳ(おしまい)
室伏氏は、メディアへの批判はここでは特に触れられておりません。
しかし、野党の国会における姿勢に関しては、「無謬性の神話」と関係づけて次のように断じておられます。
―要するに「無謬性の神話」に取り憑かれて日本の国会審議もおかしくなっているということであり、奇妙奇天烈な法案や特定の勢力を利する法案、特定の方々が考えた内容が盛り込まれた法案が、ろくすっぽマトモな議論もなされずにスーッと通ってしまうのも自明の理ということでしょう。―
本来、国民にとって極めて不合理かつ不都合な法案が国会で提出された際には、真っ当な審議の末に修正されるか、廃案にされるのが筋でしょうが、その機能を果たしていないと指摘されています。
例えば「特定の勢力を利する法案」というのが、ある省庁の思惑のみを反映したものであるならば、国民にとって不幸以外のなにものでもないでしょう。
その一つが、今回の増税であり軽減税率の導入であるとしたら、国会できちんと審議されなかったという事実は、今後の国民生活にとって、影響が大きすぎると言わざるを得ません。
この日本国民にとっての不幸な状況について、室伏氏は、次のように結論付けておられます。
―これでは日本はダメになるばかり。
政府与党の間違いを指摘するだけでなく、いかに野党がバカな質疑をやっているか、的外れなことをやっているかについても我々有権者が、場外からくどくど指摘して、「無謬性の神話」の呪縛から解き放ってあげる必要があるでしょうね。―
要するに、霞が関や永田町が、この「無謬性の神話」という奇妙な呪縛から逃れない限り、日本が正しい方向に舵を切ることは難しいということです。
私はメディアの姿勢を含めて日本の大きな課題だと思っています。
おしまい