本当の意味での義理や人情、信頼や信義とは?―義理人情をビジネスに結び付けてきたことのおかしさについて考える―Ⅱ
私自身、
「田舎での商売は、義理人情を大事にすることで成り立っているのだから、そこのところを十分重んじるように。」
と、年配者を中心に随分言われ続けました。
ただ、自分としてはそこを疎かにするつもりはなかったのですが、自らのビジネスの中心に置こうとも考えませんでした。
そもそも、私が東京から地方に帰った頃、地方は、急速な過疎化による人口減少時代に入っており、とても地縁血縁をベースにしたビジネスが成り立つとは思えなかったからです。
あの頃感じた違和感はますます現実のものとなり、地縁血縁をベースにしたビジネスなどとっくに成立しなくなっています。
今振り返ってみてもそれは明らかです。
よく考えてみれば、地縁血縁関係を義理人情といった価値観と結びつけることで、自らの商売に利用しようというところにそもそも無理があったのです。
というのは、義理人情が信頼、信義、思い遣りといったさらに上位の概念と結びつくような、人間の高い価値観を形成するものであるならば(実際そう言われましたから・・)それをビジネスといった現実の損得勘定の世界に引きずり下ろすこと自体がおかしいと言わざるを得ません。
何故ならば、商売という経済活動における現実世界のシビアさを、義理人情といった美辞麗句で糊塗しようとしていたにすぎないと思うからです。
本来であれば、これらは相いれないものではないでしょうか。
実際、商売がうまくいかない時、
「近頃は、義理人情が薄くなったから俺の商売がうまくいかなくなった。もっと買ってくれてもいいのにみんな薄情だ。」
といった、低レベルの恨み節のようなものが出てくるのは、本当の意味での義理や人情、信頼や信義といったものの上に商売が成り立っていた訳ではないことを如実に証明しています。
つづく