古き良き時代のエピソード―義母の思い出、典型的な「日本の母」を彷彿させる人―Ⅱ

銀座からそう遠くない築地にあった海軍の病院では、軍人を相手のことなので、まだ若い女性だったにもかかわらず、随分シビアな治療の場面にも立ち会ったらしい。

それでもオフの日は、同僚の人たちと青春を楽しんだようだ。

 

そんな中の一つのエピソードを家内から聞いたことがある。

お休みの日、まだ若かりし頃の義母は銀座の街をお友達とぶらぶら歩いていた・・・・

 

ここから先はテレビの再現ドラマ風に書いてみようと思う。

 

うら若き義母は、とある呉服屋さんの前で素敵な帯に目が留まった。

その帯を熱心に見ていると、様子に気づいたご主人が奥から出てきた。

主人:「この帯、お気にめしましたか?」

義母:「ええ、とても素敵ですね。」

主人:「あててごらんなさい・・・・・ほう・・よくお似合いだ。」

義母:「ほんとに素敵・・」

主人:「こんな出会いはなかなかありませんよ。お持ちになったらどうですか?」

義母:「いえ、とてもそんな・・・それに今持ち合わせがありませんから・・」

主人:「お代は今でなくてもいいですよ。どちらにお勤めですか?」

義母:「築地の海軍記念病院で看護婦をしております。」

主人:「そうですか。でしたらお代はあなたのお給料日で結構。この帯は今日お持ちなさい。」

と、その場で件(くだん)の帯を持たせてくれたというのだ。

クレジットも何もない時代である。

 

それに普通だったら、例えその頃でも

「お取り置きしてあげるから、お給料日に取りにいらっしゃい。」

と、なるのではないだろうか。

 

おそらく、義母の佇まい、言葉使い、職場の信用性などいろいろなことが重なって、「お代は後でいいよ。」となったのだろう。

それに何と言っても古き良き時代ということである。

 

こんな話ひとつとっても、家内は義母のエピソードから東京への憧れを強くしたようだ。

 

高層ビルから見る東京の景色

 

つづく