沢田研二は特別な存在?―昭和のプライド?ジュリーの矜持―Ⅰ
歌手の沢田研二がコンサートをドタキャンした、というニュースを聞いた時、これはエライことになるな!と直感した。
タレントである沢田研二当人には直接関係のないマネージメント上のトラブルか事故だろう、と思っていたら、沢田研二本人が投げ出して帰ってしまった、と聞いたからである。
沢田研二ことジュリーは昭和の大スターである。
彼の大ファンにとっては「昭和の・・・」と言われること自体不本位であろう。
しかし、現在の印象としては過去の大スターということは否めない。
その過去の大スターであろうが、コンサートをギリギリ直前にすっぽかすということは、世間的にはとても許されない話だ、と私は思った。
非難ごうごう、今でいうところの炎上は免れないだろうと思ったのである。
しかも、この騒動はマスコミが「何様のつもりだ!」とばかりに、ネガティブに取り上げ続けて、そう簡単には収まらないだろう、かなり長期化するのではないか、と感じた。
私ならずとも大半の人はそう思ったのではないだろうか。
ところが、このドタキャン騒ぎは意外にも小さなボヤで鎮火してしまった。
彼のファンが許したのである。
いわく「ジュリーがそう決めたのならしょーがない・・・」と。
これには私も驚いた。
もちろんすべてのファンがそう思ったわけではなかろうが、直接迷惑をこうむった中のかなりのファンがそういう判断を下したのだ。
そのために、逆に非難の声の方が、出しにくいような雰囲気になってしまったのである。
この発生から終息までの一連の状況を知ったとき、私は沢田研二という存在の「特別感」を見たような気がした。
こういうことが許される唯一のスターなのではないか?!?と。
つづく