あのスクルージ爺さんも・・・―男の「生存条件」晩年を穏やかに過ごすために―Ⅲ(おしまい)
女性には、そもそも先述したように「生存条件」はほぼそろっていますので、一人になってもなんてことなく生きていけます。
場合によっては、新しいお友達、趣味嗜好の世界、ショッピングに子供や孫たちとの良好な交流、といった数々の新たに与えられた選択肢のすべてを楽しくこなしていくことでしょう。
そういう意味では、女性は実に柔軟なのです。
しかし、逆はどうでしょうか。
男の場合、経済的には何とかなっても、スーパーでの買い物のやり方ひとつ知らなかったら悲惨と言わざるを得ません。
「金で解決してやるわい!」
と息巻いてみても、身の回りのかなり細かいところまですべてお金に置き換えることは難しい、という現実はちょっと考えればわかることです。
つまり、「生存条件」というのは、お金で解決できる物理的部分だけではない、ということなのです。
ちょっとした「優しさ」とか「気づかい」といった人間味、心理的部分も、人の生活を支える大きな要素になるからです。
クリスマスキャロルのスクルージ爺さんのように、完全に「金」の世界だけでは生きていけないのが普通の人間です。
そのスクルージ爺さんも、最後は人の優しさにほだされるところであの物語は終わりました。
そういった「気持ち」の部分がなければ、まともに生きていけないのが人間なのです。
実際、私が見てきたところでは、いくら「金」があっても性格に相当問題があって、家族にスポイルされた男性の末路は大体あわれなものでした。
生活というのは、家族という無償の支えが身近にいてくれるか、そうでなければどうしたって自分で何とかしなければならないものなのです。
とにかく人間最後は、例外なく誰かの世話にならなければなりません。
世の男性ども(私を含めてですが・・・)はここのところをよーく考えて、たった今から「生存条件」の整備にいそしむことをお勧めします。
おしまい