自分のことが見えているか―お湯の中の足はとんだ錯覚―
 

 

行きつけの温泉に入る。透明のお湯がたっぷりと張られた浴槽で足を思いっきり延ばす。

上から見るお湯の中の我が足は、まるでミラノコレクションでランウェイを闊歩する男性モデルと見まごうかのようにスラリと遠くまで伸びている。

「俺、こんなに足長かったっけ?」

 

その足を少しずつ持ち上げると、やがてお湯の中からつま先が現れる。

・・・すると、あら不思議!! 

驚いたことにさっきまでスラリと伸びていた我が足の先が、思っていたよりはるか手前に浮上するではないか。

 

「あれっ!?! 俺の足、もっと長かったんじゃなかったのか??」

こんな経験、誰もがしているのではないだろうか・・(誰もはしてないか・・)

 

そう、長く見えた足は、お湯と空気の屈折率の違いによる目の錯覚だったのだ。

現実は、言うまでもなく、お湯の中から現れた短い方の足なのである。

 

ここでふと考えた。

多くの人は、自分のことをこんな風に誤解しているのではないだろうか、と。

ミラノコレクションの男性モデル(ミラノコレクションにエラくこだわっているようですが、別に意味はありません・・)のようにスラリと足が長かったらいいな、と、きっと誰もが思う。

思わない? 

 

ところが現実は、足の短い日本のおっさんなのである。

にもかかわらず、お湯の中の足のように、たまに錯覚とも夢ともつかない理想の自分を垣間見てしまう。

そうすると

「これが本当の俺なのだ!」

と、とんでもない誤解を自分に植え付けてしまう(奴がいる)。

 

近年、よく言われるところの「意識高い系」などは、お湯の中の足、みたいなものなのではなかろうか、と思うのだ。

そう思っている自分と、現実の自分の間にはかなりのギャップがあるのである。

 

まあリラックスした時間の中で、「足の長い俺」を楽しむくらいは罪がないが、それが単なる目の錯覚であることは自覚しておくべきだろう。(あんま、大した教訓ではないな・・・)