田舎暮らしで我慢すべきこと ―成長発展ができない理由―Ⅰ
先日、こんなことがありました。私の住んでいる町を端から端へ横切るように運転した時のことです。
私の前を走っていた車が3台続けて右折左折のウインカーを出さずに、それぞれ行きたい方へ曲がっていったのです。
ウインカーを出さずにいきなり曲がられると後ろを走っている車は相当戸惑います。
また、田舎でよくあるのは、急に減速して曲がる直前数メートルくらいからいきなりウインカーを出す車です。
それでも
「なんだ!曲がるんだったのかよっ!」
と、心の中で悪態をつきながら通り過ぎれば済みます。
しかし、ウインカーを全く出さないというのは危なくてしょうがありません。
おっとっと・・・と、あわやぶつかりそうになります。
ウインカーを出さずに曲がる車たち・・・軽くクラクションを鳴らして、やはり心の中で悪態をつきながら通り過ぎるのですが、このときふと思いました。
これが都会だったら、もっと激しくクラクションを鳴らすか、心の中で悪態をつくのではなく、窓を開けて「バッカヤロー!!」と声に出して通り過ぎるのではないかと。
その行為の良し悪しは別として
「同じことを田舎じゃそれはできないよなーー」
と思ったのです。
というのは、ウインカーも出さないでゆるーーいヘロヘロ運転で曲がって行ったのは近所の爺さんか婆さんかも知れないからです。
向こうが悪いにもかかわらず、少し口やかましいことを言おうものなら
「あそこの親父はすっごくうるさい奴らしいぞ。ちょっとしたことですぐ怒るみたいだ。」
なんて噂を立てかねられません。
仮にその運転手が、直接ご近所とか知り合いではなかったとしても、どこそこの遠縁当たる人とか、取引先の知り合いの知り合いとか、昔世話になった人とか、定年後の恩師の奥さんとか・・・考え始めればきりがないのです。
そう考えると、田舎では交通ルール無視のゆるーーい運転にイラッとさせられても、それを厳しく糾弾することは許されない環境なのだな、と改めて思い知るのです。
つまり、しばしばイラッとさせられるという点で1回、それを咎める訳にはいかないので我慢するというところでもう1回、ちょっとしたことで合わせて2回ずつ我慢させられることになります。
つづく