相談するという愚 ―したり顔の否定論者―Ⅵ(おしまい)

こんな風に、したり顔程度のアドバイザーなら世間には山といる

そんなレベルの連中に相談したところでなにも始まらない。

 

これまで私は、散々そんな「助言」と称する実は否定の現場を見てきた。

だから、私は重要な案件に関して判断を仰ぐタイプの相談はほとんどしない

 

ちょっと背中を押して欲しい、といったレベルの相談もしないし、する必要もないと思っている。

自分で決めるしかないのだ。

 

決断しなければならない重要な幹の部分は、自らの判断で決めるしかない。

しかし、前述したようにそこを決めてからの細かい部分について、先達の意見を聞くことはかまわないし、すべきであろう。

 

ただしその先輩は、それを相談するのにふさわしい資質の持ち主かどうかが問われる。

柔軟で前向き、能力の高い人間に限られるのだ。

なかなかいないと思うが、そのタイプによる助言でなければ聞いても意味がない。

 

とにかく、重要な案件は自分で熟考するしかない。

考えに考えて決断する。

決断したら果敢に実行する。

それしか何か物事を実現する手立てはないのだ。

 

 

まあこれは、誰に話す話でもなく、まさに自分に言い聞かせることではあるのだが・・・

「相談」という行為が陥る落とし穴ということを考えてみたときに、こんななことをふと思ったのである。

 

 

おしまい