伝統の破壊と再生―日本酒の挑戦―Ⅴ

先述したように、桜井氏の父上は急逝されたので、先代との確執が長く続いた訳ではなかった。

私が見てきた経験では、ここの確執が長引くと、 そのうちに後継者が萎えてしまい、或いは嫌気がさしてしまって、事業の承継がうまく機能しなくなるケースが多かった。

 

そういう意味では、桜井氏はある程度やりやすい環境だったかも知れない。

しかし、旧い体質は、父上だけではなかったのである。

 

酒造りには欠かせないといわれている杜氏達もまた、旧態然とした意識の持ち主だったのである。

この言わば専門家集団との確執も、桜井氏を悩ませるとともに、改革への決断を促すきっかけとなったのである。

 

― また、桜井氏と杜氏との関係はよくなかった。

氏が酒造りにいちいち口を挟んだからである。

桜井氏は「こんな酒造りはおかしい」と思っていた。

「酒蔵こそが、酒造りのすべてに責任を持つべきです。だから、現場にも顔を出して、細かく指示していました。」

杜氏からすれば、自分たちの仕事に口を出す嫌な奴、という訳である。―

 

若い後継者と、旧勢力の代表である番頭さんがぶつかるという話はよく聞く現象であるが、それが職人となるとよりやりにくかったに違いない。

 

 

 

つづく