「判断基準」について改めて考えるⅣ
さて、今回のメインテーマは、その確固たる高いレベルの「正悪」「正誤」の判断基準とは何か?ではない。
世の中の流れや状況の変化によって日々変化してしまう「正悪」「正誤」の判断基準を、改めてちゃんと考えてみようじゃないか、という趣旨ではないのである。
そうではなく、
「極めて主観的な「好き嫌い」の判断基準でものごとを進めてもいいのではないか?
「好き」というだけで進めたらどうなる?」
というテーマについて考えてみたいのだ。
嫌いなことはやらない、好きなことだけ続けていく、という姿勢でビジネスに向き合ったら一体どうなるのだろう?
こんなことを書くと
「いい年をした男が好き嫌いで物事を判断するものじゃない!
ましてや仕事に持ち込むなどもってのほかである。
嫌な仕事も我慢して続けるのが大人の男というものだ。」
というごもっともな指摘の声が聞こえてきそうである。
まあ確かに、嫌いなことにはあまり真剣に取り組まず、比較的好きなことだけに向き合い続けてきた私の人生など、お世辞にも褒めたものでないことは重々承知している。
つづく