いいよね、スーさん的生き方―ちょっとくらいはマネできるんじゃないか、と考えた―
今は亡きダブル主人公
「釣りバカ日誌」という映画シリーズがあった。寅さんシリーズほどではなかったが、結構な本数撮られたのではないか、と思う。
「あった」という過去形なのは、主役のお二人がもう亡くなったので、おそらく続編が世の中に出ることはないだろうと思ったからである。(新しいシリーズが始まっているのかな?知らんけど。)
主人公は西田敏行演じるハマちゃんと、三國連太郎演じるス-さんの二人である。厳密にはハマちゃんが主人公だが、スーさんの存在がなければ成立しない映画だったから、ほぼダブル主人公といっていいだろう。
私はこのシリーズの熱烈なファンというほどではなかったけれど、テレビなどで放映されるときはよく観ていた。振り返ってみると、このシリーズの見どころはいろいろあったと思う。
まるで普通の老人
私はその中でも三國連太郎演じるスーさんの生き方に興味を惹かれた。スーさんは、鈴木一之助という名前で、オフィシャルでは大手建設会社の創業者社長であり、プライベートではハマちゃんの釣り仲間というポジションである。
そのスーさんの、オフィシャルとプライベートの使い分けぶりが面白かった。このスーさん会社にいるときは、実に威厳ある社長っぷりを発揮する。部下に的確に指示を出し、何かしらのピンチに際しても、けっして動じることなくしっかりと対応するのだ。
また、大勢の前でスピーチするときなども、話にちゃんと知的な内容を盛り込んで立派にこなすのである。つまり、スーさんはインテリジェンスの高いデキる社長なのだ。
ところが、このスーさん、ハマちゃんとの絡みになると、さっぱりな人格に陥ってしまう。ハマちゃんとの釣りの約束が、他のオフィシャルな予定と重なったりすると、部下の重役に「君、僕の代わりに出席しておいてくれたまえ。」などと逃げ出したりするのだ。
しかも、その釣りの際に初心者のスーさんはドジることが多く、師匠であるハマちゃんに散々怒られたりする。そこで、うんとスネたり不貞腐れたりする場面があってここがまた面白い。
さらに、ハマちゃんの家を訪れたときなど、もっとダメっぷりを発揮する。ハマちゃんに思いっきり文句を言われたかと思えば、彼の奥さんのみち子さんに慰められたりと、その辺にいる普通の老人とまるで変わらない姿である。
あくまでも憧れの存在
さて、いろいろと「釣りバカ日誌」について書いてきたが、ここまでが前振りである。中でもスーさんについて長々と書いたのは、
『こんな生き方っていいよなあ。俺とダブルイメージもあったりして・・・』
なんて、私が思っているからにほかならない。
しかし、そうなると当然
「おいおい、ちょっと待て。そもそもお前とスーさんとでは境遇が違いすぎるじゃないか。あっちは大企業の社長で、しかも相当なインテリだぞ。それになんと言っても、三國連太郎とお前とじゃカッコよさのレベルに差があり過ぎる。」
といった声がかかりそうである。
ただ、ここでちょっと待っていただきたい。小なりといえども、一応私も組織のトップである。参考にしたっていいじゃないか。
それに『いいよなあ・・・』というのはそもそも憧れているから出てくる言葉である。つまり、ちゃんと上として見ているのだ。彼我の差が大きいことくらい承知の上である。
だいたい私はアラン・ドロンにも憧れていた。あんなクールでカッコいい男になれたら、とずっと思っていたのだ。そのことはこのブログでも何回か書いてきた。まさに「あんた、何をバカなこと言っているんだ!」の世界である。
というわけで、アラン・ドロンにも三國連太郎にもなれないことは承知の上で書いているのだ。
威厳などあるはずもない
ただ、そんな中、スーさんの生き方くらいは、上手に縮小コピーすることで自分のライフスタイルにも投影できるのではないか、と思ったのである。では、どうするのか?
まず、会社や業界の集まりなどオフィシャルな場では、最低限の威厳など保ちつつ、真面目そうなふりくらいはした方がいいだろう。まあ、私の場合、そんな業種(税理士という)でもあるのだからその方がいい気がする。スーさんも会社ではそうふるまっている。
と、ここでいきなり躓く。そもそも、私は事務所でも業界でもあまり真面目なタイプとは思われていないのではないか。というか、思われているわけないじゃないか、と言い切れるのだ。
そうなると、当然、威厳などあるはずもない。なので、ここは早々に諦めて、別のアプローチに変えなければならない。
ユーモアを含んだインテリジェンス
では、私はスーさんのどこに学べばいいのか。それは、ちょっとだけ先述した彼のインテリジェンスの高さ、である。
ス-さんは、建設会社の社長ではあるが、現場の叩き上げという感じはあまりしない。映画の中でもチラッとしか触れられていないが、どちらかといえばインテリジェンスの高いタイプとして描かれている。
私は、トップとしてあの感じがいいなあ、と思ったのだ。ただここは難しいところでもある。
そこ(インテリジェンス)があまりにも先鋭的に表に出てしまうと、むしろ周りに敬遠されてしまうからだ。いかにも、と感じさせないで、なおかつインテリジェンスが高い、というのがいい。スーさんの場合、ユーモアも感じさせる人柄なので、そこのところはうまく中和させている。
ここは、スーさんだけが目標というわけではなく、私の目指すところでもあるのだ。つまり、ユーモアを含んだインテリジェンス。知的レベルは高いのだけれど、ちゃんと笑いを伴ってこちらの思いを他人(ひと)に伝えられる力量、とでも言えばいいのだろうか。
しかもそれを、組織のトップとしての立場で発信できる能力があれば、それに越したことはないと思うのだ。ポジション的に、そういったコミュニケーション能力がより問われると思っている。
そのためには、日々、自らのインテリジェンスを磨くしかない。まあ、そこんところの努力は怠らないつもりである。
緩急のつけ方が絶妙
さて、もう一つのスーさんらしさ。それはプライベート時におけるドジぶり、ということになる。
ただここだけは、特にマネする必要もないな、と思う。日常生活におけるあれやこれやのダメっぷりは、むしろ私の方が師匠になれるくらいである。
私は、他人(ひと)に弱みを見せるのはそれほど苦ではない。というか、弱みだらけだから、そもそもそれをいちいち取り繕っていても仕方がないのである。
まあその辺は、職場においては部下たち、家庭においてはカミさんや子供たち、いずれもよくわかっているみたいなので、それなりに対応してくれている。(つまり、カバーしてくれている。)
スーさんの生き方を観ていると、その公私における緩急のつけ方が絶妙だと思う。それは三國連太郎という役者がこれまた絶妙に演じているからだろう。
私の場合、緩急の「緩」の方がちょっと勝り過ぎていて(緊張感がなさ過ぎて)とかく周りの顰蹙を買いがちである。その辺は、スーさんの生き方を参考にして、今後は少し締めていくとするか。
お二人ともこの世にいないのが残念

