システム手帳という旧友を手放さないわけは―そう、かれこれ40年以上の付き合いになるのだ―
たまりにたまったリフィル
システム手帳については、以前書いたことがあるような気がするけれど、また少し触れてみたい。(近頃は、その書いたことすら覚えていないことが多くなったが・・)
先日、来年のシステム手帳の中身だけを買いに行った。中身だけ・・?なんと表現すればいいのだろう??手帳のカバーは、革製のものを使っていてもう長くなる。毎年、今使っているもので振り返っても、中身だけを買い替えながらもう十年以上経っているのではないか。
システム手帳そのものは、タイトルにある通り40年以上使っている。当初は「バイブルサイズ」と呼ばれるシステム手帳の最も一般的なサイズのものを使用していたが、書き込む内容が増えてきたために途中からA5サイズという大きさに切り替えた。そのA5の方も10年を超えてしまった。
調べてみたら、システム手帳の中身のことをリフィルというらしい。事務所で使っているデスクの左下の引き出しを開ければ、これまでのリフィルが何十年分も積み重なっている。大きめの引き出しの中のかなりの容積を占めているのだ。
まだそんなもの使っているんですか
以前、パートナーの女性税理士や女性の部下たちに揶揄されたことがあった。スマホに「スケジューラー」というアプリが入ったときのことである。
「あら、まだそんなもの使っているんですか?私たち、(紙の)手帳の方はもう捨ててしまいましたよ。これ(スマホ)一つあればもう充分じゃないですか。」
と、からかわれてしまった。
「うるせいやい。ほっといてくれ。」と返事したものの、『これってなんかカッコ悪いのかなあ・・』と、心の中はスッキリしない。
『女というのはこういうとき、こんなにアッサリとこれまでの習慣や過去を捨て去れるもんなんだ。そうか。そういえば、昔振られたときもそうだったっけ・・・』
と、なんだかいらないことまで頭をよぎる。
なんか自分が古い人間のようで「くっそう!!」と悔しい思いをしたものの、結局、手帳の方は捨てられずにいた。
とはいえ、スケジュールアプリの方は、他のスタッフと情報を共有しなければならないので、やらないわけにはいかない。
当初、私が予定を入れていなかったためにダブルブッキングになって、困ったことがときどき起こったりした。その後、私もマメに入力するようになり、スケジュール管理は比較的スムーズにいくようになったのである。
逆に、あらゆる時間の隙間に、社員たちが私への予定をこじ入れてくるために、気の休まるヒマがなくなってきた。便利な道具というものは、立場を変えれば実に不便なものである。
忙しいのなんのって
さて、そのシステム手帳といえば思い出すことがある。それこそもう40年以上昔の話になるが、世の中がまだそれほどデジタル化していない時代に、システム手帳全盛期というのがあったような気がする。
取引先の私なんかより年配の役職の方もその下の一般社員も、当然のようにシステム手帳を持っていた。そんな中、特に上の立場の方たちは、予定がびっしり書き込まれた手持ちのシステム手帳を、嬉しそうに見せびらかしていた。
つまり
「いやあ、見てほら、先の先までこの通り予定がいっぱいで忙しいのなんのって。あはは、たまんないよね、全く。」
と、みんな割とうれしそうだったのである。
近年、ワークライフバランスなどという言葉や考え方が勢力を増してきて、こんなストレートな「忙し自慢」などは影を潜めたのかも知れない。しかし、当時はそれが一種のステータスだったのである。
下の世代にまで・・・
そんなビジネスマンだけでなく「システム手帳予定びっしり現象」というのは、下の世代にまで及んでいた。女子大生と思しき女の子たちが、自分のシステム手帳を見せあいながら、
「ねえねえ、どこだったら空いてる?私、この日とこの日はダメ。こっちだったら空いてるけど、○○は?」
「私、その日はダメ。この日はどうなのよ?お互い都合のいい日ってなかなかないわよね。」
「うーん、じゃそこに予定入れるか。よっし、これで来月の予定はすべて埋まったわ。」
なんて会話していたように思う。
つまり、先の予定をすべて埋めておいて、その通りに行動しないと落ち着かない、みたいな風潮があったのである。先述の「いやー忙しくて・・・」の管理職も似たようなマインドだったんじゃないだろうか。
「私の存在感」にみんな酔っていた?
システム手帳は、そんな彼ら彼女らの片刃を担ぐ重要なツールとして機能していたと思われる。システム手帳が、先の先まで隙間なくびっしりと埋まっていることで確認できる「私の存在感」って奴に、みんな酔っていたんじゃないか、という気がするのだ。
私と言えば、当時からこの現象には相当の違和感があって、
「先の先まで自分の予定が決まっているなんざあ、まっぴらごめんだぜ。なんにも予定のない日っていうのがいっぱいあった方がいいんだよなあ。」
くらい思っていたような気がする。(それは今でも変わらない。)
「予定びっしり=うれしい現象」というのは、今も続いているんだろうか?これって明らかにワークライフバランスとは相反しているような気がする。
いやいや、仕事の予定だけでなく、遊びの予定までびっしりと入れていればいいじゃないか、とも考えられる。ただそうなると、さらにさらに俺とは合わないな、という話になるだけだけど。
隙間だらけのシステム手帳
こうやって振り返ってみると、結局私という人間はシステム手帳があろうがなかろうが、先の先まで予定が決まっているような生き方は、そもそも性に合わないということなのだ。
だから、社員たちが隙間の隙間まで予定を入れてくるのには「勘弁してくれぇ~」と思っているのだけれど、まあ彼らには彼らの事情って奴があるから仕方がない。
この先も私は、できれば隙間だらけのシステム手帳を使っていきたいと思っている。そんなの意味があるの?などという疑問なんてどうでもいい。その隙間に、ときどきでいいから、自分の好きなことを滑り込ますことが可能であれば言うことないのだが。
まっさらなページっていいなあ・・・

