文豪を気取ってみたい、憧れのスタイルー万年筆との共存生活(その3)― (後編)
ネーム入り手作りの一本
私が通い続けている西麻布の本格バー「サロン・ド・シマジ」のオーナー兼バーマンである、島地勝彦さんは名編集者というだけではなく、優れた書き手でもあるのだ。もう何冊も著書を上梓されていて、私はそのほとんどを読ませてもらったが、いずれも洒脱で実に面白い作品ばかりである。
そんな経歴の方なので、私はお話しを交わす中で、自分もこれまでかなりの分量書いてきたが、現在は万年筆を使って雑文など執筆していることを伝えた。すると、そんな或る日、島地さんから
「私も普段、万年筆を使って原稿を書いています。ところで、私の知り合いに手作りの万年筆を作成する人がいるんですが、海江田さんもそんなオリジナルな一本を持ってみませんか。」
とお誘いを受けた。
これまで、その手のものは持っていなかったので、私も興味を惹かれて島地さんを通じて一本注文してもらったのである。一カ月後くらいに、出来上がりの知らせをいただいて、次に上京したとき受け取った。木製の軸に私の名前が彫りこまれたその一本を、職場のデスクにおいて、仕事のアイデア出しの時など利用している。
手作りの一本。ネーム入りです。
万年筆ライフの終着点
さてそんなこともあって、島地さんとの間には万年筆を巡るご縁ができたのである。普段、島地さんとは多岐にわたって様々な話題を交わしているのだが、私の書く文章のことやそのとき使用する筆記具としての万年筆について話が及ぶことも多くなった。
そうしたやり取りが続いている中で、或る日私は
「いろんなメーカーの万年筆を揃えてローテーションしながら使っているんですが、ここに最後の一本としてモンブランの№149を加えたいんですよね。あれが私の万年筆ライフの終着点かなあ。ただ、現在結構高価なものになってしまったんで、購入のタイミングを見計らっているんですよ。」
といった話をした。
島地さんには、「149」と言っただけで、それがどんなものかはもちろん瞬時に通じる。長年いろいろ書いてきた私が、それを欲している心情的な背景などもよく理解していただいたのではないだろうか。
149をあげるよ
そんな話を交わしていたら、或る日突然、島地さんが
「私も仕事柄万年筆は沢山持っているけれど、その中に今はもう使っていない149があったはずだから、それを海江田さんにあげるよ。」
と言われたのである。
私は恐縮して
「いやいやとんでもない。そんな大事なものなどいただけません。」
と遠慮したのだが、
「家に帰ったら探してみるから、見つかったら連絡するよ。」
と言っていただいた。
おおいにうれしいお申し出ではあったのだが、いかんせん酒の席、仮に忘れられたとしてもそれはそれでまあいいや、くらいに思っていた。そうしたら、次の日の夕方、島地さんご本人から電話があった。
「149が見つかったから、お店に持ってきました。お渡ししますので取りに来てください。」
とのお話しだった。
私はそのとき義理の息子(次女の旦那)と晩飯がてら飲んでいたのだが、「あ、ありがとうございます。後ほど伺います。」と、最敬礼で返事をした。まさかこんなにすぐ実現するとは思っていなかった。
そのとき息子と飲んでいた店から「サロン・ド・シマジ」はそう遠くもなかったので、タクシーを拾いすぐに向かったのである。息子も今回の話の成り行きに少し驚いていた。
やはり149は、その佇まいに迫力があります。
貴重なストーリーを抱いた一本
「サロン・ド・シマジ」に到着し、挨拶を交わしたあと席に座ると、さっそく島地さんは件の万年筆を取り出された。ありがたく手に取ってみると、おそらくそれまで使い込まれた一本だと思うのだが、古びた様子は全くなく、新品みたいに黒い艶を醸し出している。私は恐縮しながら、それをいただいたのであった。
そうしてようやく手にした149は、お金を出して購入したものよりも、私にとって遙かに貴重なストーリーを背景に抱いた記念の一本になった。
不思議な巡り合わせを感じる。
インクは吸引式で、昨今の製品のようにカートリッジとの併用には作られていない。そんなところも、いかにも伝統に則っており、潔い気がした。
プレッシャーというほどではないが、こいつを使って書くんだったら何かよっぽどマシなことを記さなきゃなあ、と思う。また、この相棒とだったらそんな世界が描けそうな気もするのだ。
万年筆と一緒に島地さん専用の原稿用紙もいただきました。
原稿用紙の方はもったいなくてまだ使っていません。
人生は運と縁と依怙贔屓
島地さんのモットーは、「人生は運と縁と依怙贔屓である。」なのだ。私はこれまで、いろいろなご縁を通じて島地大先輩に依怙贔屓していただくようになった。これも、俺の運の強さゆえさ、と自負すべきか。
まさに、運と縁と依怙贔屓の3つが見事にそろったことになるではないか。
まあ、どうあれ私はそう思っているのだ。
今回、「文豪を気取ってみたい、憧れのスタイルー万年筆との共存生活―」というタイトルで3回にわたって、万年筆との触れ合いについて書いてきた。こんなテーマでも結構な分量書けるもんだなあ、と思う。
その集大成は、今回書いてきた「島地勝彦さんとのご縁と№149」ということになる。まさにタイトルに相応しいエンディングと言っていいだろう。
「よしっ、こいつを使って何か今までになかったような作品を仕上げなきゃなあ。」
と意気込んでいる自分がいる。優れた道具という奴が、私をあと押ししてくれるかも知れない。これまでみたいにボゥーッとしていないで、執筆にいそしむとするか。
サロン・ド・シマジにて、島地さんと息子を加えての3ショット
このシリーズおしまい

