ここは日本か?!?―いろんな意味で異体験、夜のトビウオ漁―(前編)
なんかいい夏休み体験は?
田舎の我が家に、東京から長女一家が二年ぶりに帰省してきた。幼児だった二人の孫たちも、それぞれ小学生や幼稚園の年長さんになって、夏休み体験などいろいろさせたてやりたいお年頃である。
というわけで、母親である長女がネットであれこれ調べた結果、私の町から比較的近くの都井岬にある漁港で、「夜のトビウオ漁」という体験をさせてくれることがわかった。
なんだそれは?・・・
よくわからないが、とにかく、予約当日の夕方、私の運転で長女一家を乗せてその漁港へと向かったのである。
辺境の人気のない漁港
私の町も田舎だが、都井岬はさらに奥深い場所であり、辺境といってもいいくらいの地域である。私も近くを通過したことはあるけれど、都井漁港まで行くのは初めてであった。
完全に暗くなる前に着いたものの、港周辺に全く人影はなく、思ったよりもだだっ広い漁港にもまるで人の気配はない。時間的には、約束の漁船の責任者が待ってくれていてもよさそうだが、誰もいない。あたりに係留されている漁船のどれがその船かもわからない。
少し心配になって長女が携帯で連絡したら、「ああ、今行く。」との返事だった。しばらくすると、軽トラの灯りが近づいてきて、ちょうど私たちの近くに係留されていた漁船の前で止まった。
中からでっぷりとしたおなかの老人が降りてきたので、長女が「あのう、予約していた者ですが・・・」と話しかける。すると彼は「ああ・・」と返事したあと、岸壁端っこにあるコンクリートの車止めにどっかと腰を下ろして携帯をいじり始めた。
ずっとスマホをいじっている船長さんのそばで
待ちくたびれた孫たち
初めて遭遇した「田舎あるある」
彼は、客である我々の方を見ようともしない。私たちはかなり戸惑ってしまって、顔を見合わせる。
長女が旦那である義理の息子に小声で話しかける。
「ねえ、あのおじさんコミュ障じゃない?」
田舎の事情にやや詳しい私が
「いや、これが普通かも知れないよ。」
とやはり小声で脇から意見を述べる。
コミュ障・・・いうまでもなく、「コミュニケーション障害」のことである。
他者とのコミュニケーションや距離感がうまく取れない障害のことを言うのだろうが、地方に行くと必ずしもそうではなく、私が上で述べたように挨拶一つしないのは、普通に「田舎あるある」なのである。
基本地縁血縁で成り立っている田舎の場合、初めて会う人、つまり「よそ者」には、ロクに挨拶もしない人、できない人というのは結構いたりするのだ。
そういう事実を、私は長女たちに伝えたかったのである。
いつまで待てば・・・
さてその間も、この船長さん(このあと、彼のことは「船長さん」と呼びます。)はずっとスマホをいじっている。あたりもだいぶ暗くなってきたので、声をかけてみた。「あのう・・・」
すると彼は、ボソッとつぶやいた。
「今、救命胴衣を持ってくるけん、ちょっと待っちょれ。」
「は、はあ、わかりました。」
『予約しておいたにもかかわらず、救命胴衣も準備しておかなかったのかよ!』
と思ったが、仕方がないので待つことにする。
しかし、その救命胴衣がなかなか届かない。長女がしびれを切らして、再び「あのう・・・」と声をかける。
今度は、
「さっきは電話に出らんかった。今、持ってくるけん。」
との返事。
言っている意味がよくわからないが、とにかく待つしかないな、と諦める。
風呂に入っちょった、だと
すると、ほどなく港に近づいてくるバイクの灯りが見えた。目で追っていると、やがて暗闇の中をぐるっと回って我々の前にやってきた。
バイクには、なんと上半身裸の、船長によく似たでっぷりとした体形の親父が乗っていた。彼もまた無言で、我々に挨拶などすることもなく「ホイッ」と手に持っていた救命胴衣を渡したのである。
それは子供用の救命胴衣であった。聞いたところによれば、船には大人用の救命胴衣しか積んでいなかったらしい。そこで、バイクでやってきたこのサモア人みたいな雰囲気の彼に、持ってくるように頼んだのである。船長との関係は不明である。漁師仲間?それとも兄弟だろうか?
遅くなったのは
「風呂に入っちょったから電話が聞こえんかった。」
という理由だったらしい。なんか、よくわからないがそういうことだった。「んじゃ」と、そのバイク親父は、上半身裸のまま再び暗闇の中に去っていった。
子供たちに彼が持ってきた救命胴衣を着せて、我々大人3人も船にあったヨレヨレの胴衣をつけると、いよいよ出港である。
我々を乗せたオンボロ漁船は、プスンプスンと動き始めた。
が、いくらもしないうちにエンジン全開になり、体感的にはもの凄いスピードで走り始めたのである。
この救命胴衣を待っていたのでした。
つづく