気が短くなったのか?―対人関係のあり方を見直してみる―

気が短くなる?

年を取ってくると、若い頃には見られなかったような現象がいろいろと身体上に出てくるらしい。現実に年を取ってしまった私が「らしい」と書くのもおかしな話だが、自分のことは客観的にはなかなかわからない。実際はどうなのだろうか?

その中の一つに「気が短くなる」というのがあった。人は年を取ると短気になるらしい。

 

和田先生によれば

これは、老人に関する著書を何冊も出版していらっしゃる和田秀樹先生が書いておられたので、間違いのないところだと思う。それは脳のある部分の萎縮とか劣化によって起こる生理的な現象で、精神的な面から発生する現象とは異なるということである。とすれば、心の持ちようとか精神面でそうならないように努めたとしたとしても効果が得られず、無駄に終わるのかも知れない。

先日、古い友人と久しぶりに話をする機会があったのだが、そいつはなんだかやたらと悲観的(ネガティブ)な内容の話が多かった。気の置けない仲なので、そのことを指摘すると、そいつのカミさんにも「同じことを言われるだよなー」と言っていた。

さらにそれだけでなく、「なんか、最近すっかり気が短くなったんだよなー」とも言っていたのである。私は、「それは老人性のなんちゃらといった現象らしいぞ。」と、和田先生が指摘されていたことを教えてやった。

この友人の場合、身体の調子もあまり良くないようで、人生なんだかすっかりネガティブなモードに入っていたのである。話していると、こっちまでそのモードがうつりそうになった。

 

対人間関係が問題

ところで、「気が長い或いは短い」といった現象は、ほぼ対人関係の中で起こると言っていいのではないだろうか。昔できていたことがスムーズにできなくなって自分で自分に当たり散らす、といったこともなくはないが、こっちはそれほど問題になると思えない。

やはり何と言っても、対人関係において相手に対してイラっとするか否かというのが、気が短くなったのかどうかのバロメーターになると思われる。その点に絞って自分を振り返ってみた。

私の事務所では、私が一番年上で、あとは様々な世代がいるとはいえ、とにかくみんな年下である。20代といった、飛びぬけて離れた世代の部下もいる。

世間でよく言われるのはジェネレーション間のギャップだ。ここがなかなか埋まらないし理解し合えないので、年長の上司などがイラっとするという話はよく聞くところである。私はどうなのだろう?

 

おふくろの場合

話は少し脱線するが、私の母は93歳、昭和の初めの生まれである。子供時代、青春時代、結婚して初老に至るまでどっぷりと昭和に浸かってきた世代だ。

その母は、ジェネレーション論をよく展開する。いわゆる「私たちの時代はこうだったけれど、今の若い人たちはこうだ・・・」みたいな話が実に多い。

母から見れば、「近頃の若い人」というのは、20代はもちろんのこと、30代、40代、50代、60代までも含むのだ。私の世代にも文句を言うのだから70代も「近頃の若い人」ということになるのだろう。

さてそうなると、母はほぼすべての世代に対して批判的ということになる。日本に生きるほとんどの人間を敵に回しかねない、という話になるのだ。

で、その批判の中身を聞いているとなんてことはない。挨拶や礼儀作法ができていないとか、一般教養に欠けるとか、常識がないとかいろいろである。

これに対して私は「そんなの、あんたの世代にだっていくらでもいたでしょ。若い人に限ったことではないよ。」と反論する。そうなのだ。いつの時代も礼儀知らずや常識外れは必ずいるし、一般教養の中身もその時代によって変わる。

 

エジプトの古文書にも書かれていた

私は「近頃の若い者は・・・」というセリフほど意味のないものはない、と思っている。何しろ、古代エジプトの古文書にもこの言葉は出てくるというから、人類はずっと同じことで悩んでいたわけだ。

自分が若い頃も、同じように思われていたはずである。冷静に思い出してみると、思い当たる節(ふし)はいくらでもある。

実はこのセリフ、私は使ったことがないし、思ってもいない。ジェネレーションギャップが原因で、イラっとさせられる、ということもまずない。あくまでも、個人個人の資質や性格、態度に帰するのである。

 

むしろ上の世代の方が・・・

さて、「年を取ると気が短くなる」というテーマから随分離れてしまった。今の自分を振り返ったとき、まだそんなに気が短くはなっていないような気がするのだがどうだろう?特にジェネレーションギャップにおいて、若い世代にイラっとするということはないはずだ。

そういえば逆に、上の世代にはイラっとさせられることが多いかも知れない。先述の何かと口うるさい母に対しても、いつもいつも優しくしてばかりもいられない。特にジェネレーションで大雑把に分類されて、上から目線で批判などされたときは厳しく反論することもあるくらいだ。

まあ、年老いた母を相手に、このあたりはもっと寛大にならなければ、それこそ「気が短くなった」という烙印を押されかねないことになる。短気はフィジカルな要因で起こってくる、という和田先生のお話ではあるが、私はできるだけ穏やかな気の長い人生にしたいと思っているのだ。

 

同級生たち。こいつらも短気になっているのだろうか。