実装する?!?―言葉にも流行がある―

「実装」するって?

最近、何かしら読んでいても、会話の中でも「実装する」という言葉をよく聞くようになった。

グーグルの「コトバンク」で調べてみると、

―1、装置などを構成する部品を、実際に取り付けること。2、コンピュータのハードウェアやソフトウェアに新たな機能を組み込むこと。インプリメント。インプリメンテーション。―

とあった。

「実装」・・昔は使わなかった言葉だ。

 

調べてみました

いつ頃世の中に登場したのだろう?と気になって調べてみた。しかし、こういうことを調べるのは結構難しい。いつ頃から?などというのは、どこからどう手をつけていいのやら皆目見当がつかないからである。

そこで、実にアナログな手段だが、辞書をめくって調べてみることにした。幸い手もとには3種類の国語辞書があった。大事なのは、その種類(出版社の違い)ではなく、発行年月日である。

一番古いものは角川書店のもので1975年刊である。ここに「実装」という言葉はなかった。「実相」はあったが「実装」はない。次に、1991年刊の広辞苑を調べてみた。ここにも「実装」という言葉は載っていなかった。

最後に2006年刊三省堂の「大辞林」を引いてみると、ここには掲載されていた。尤も、「大辞林」の初版は1988年である。その後2回ほど改定をしているようなので、途中から加えられた可能性はある。

 

違和感が拭えない

さて、これを見ても「実装」という言葉は、以前は存在していなかった、と推察される。何故、私がこれほどこの言葉に拘るかのといえば、どうも一種の違和感が拭えないからである。

実装する・・・老若男女を問わず、現在かなり頻繁に登場する言葉だが、「そんなに度々使う言葉か?」というのが私の偽らざる感想なのだ。

「なんか、この言葉を使うことに酔っていない?」というのが、ちょっと皮肉を込めた私の感想なのである。

はっきりとは思い出せないのだが、これに似た現象は昔もあったような気がする。

「わざわざそんな言葉を使わなくても、昔からある表現でいいんじゃね?」

みたいなことをときどき思いながら、これまで言葉と向き合ってきたので、今回もちょっと気になるのだ。

 

気取ってんじゃねえよ!

おそらくこれは私が、人一倍「言葉」というものに対して敏感なせいかも知れない。

こういう新しい言葉を嬉しそうに使っているのを見ると『大して意味も分かってないくせに、気取って使ってんじゃないよ。』といった意地悪な気持ちがフツフツと湧き上がってくるのだ。

しかし、こんなことを書いてくると、なんだか性根の曲がった意地悪爺さんみたいに見える恐れがあるので気をつけなければならない。まあ、会話の途中でそれを指摘して、場の雰囲気が悪くなるようなことはしませんから、その点はご安心ください。

 

たかが着るもの、されど着るもの

「実装」という言葉は、冒頭の「コトバンク」にあったように、コンピュータ関係の用語から始まったのかも知れないが、私が推察するにこれを割とよく使うようになったのは、ファッション関係の人たちではないだろうか。

ファッション誌などパラパラとめくっていたら、スタイリストとかがこの言葉を使う場面が結構出てくる。「ん?ここで使うか?」とも思ったりもするが、記事を書いている本人にさほど違和感はないのだろう。

振り返ってみると、これまでもファッション関係の人たちには、「その表現て、なんか大袈裟じゃね?」と思わされる場面もときどきあった気がする。

だいぶ昔のことになるが、確かジャケットかなんか買いに行ったときだった。そこの男性店員さんが「投資目的に応じた付加価値というものが、服飾には求められるわけで・・・」みたいな発言をしていて、『たかが俺の着るもんに、そんな大層なご高説などいりませんから・・・』と思ったことを覚えている。

ファッション関係の人たちはきっとプライドが高いのだろう。ときどき上記のようにうんと難しく構えちゃったりする人がいて、どう対応していいのか困惑することがあるのだ。

私は「着ること」もかなり好きな方だが、「たかが着るもの」である。まあ、彼らにとっては「されど着るもの」なんだろうけど。

 

俺はアン・ハサウェイの味方

そういえば、ここであの「プラダを着た悪魔」という映画を思い出した。

あの映画では、着るものに関して喧々諤々打合せをしているファッション関係の人たちを見て、アン・ハサウェイ演じるインテリ新卒女子大生がクスリと笑う場面がある。そうすると、それを見とがめたメリル・ストリ-プ演じる剛腕女性編集長に、ファッションに関するロジカルな解析を嵐のように浴びせられてコテンパンにやりこめられるのである。

ファッションというのは、感性と理性の合わさった高度な世界なのだ、ということを嫌というほど見せつけてくれる場面ではあるが、私の心情はややアン・ハサウェイの方に近い

難しい理屈を滔々と述べられても、心の奥では「だから何?」という気持ちが拭えないでいるからだ。

 

はたして使えるのか

さて、話がだいぶ逸れてしまった。「実装」である。

今のところ、私は一回もこの言葉を使っていない

そんなに保守的な人間ではないつもりだけど、こういうことに関しては多少の気恥ずかしさも手伝って慎重である。サラリと使える日が来るのだろうか?

これを読んでいる知り合いの方で、私が「実装されていてですね・・・」などと臆面もなく使っている現場を見たら、クスリと笑っていただきたい。

 

我が社では新システムを実装しまして・・・

みたいな?!?