一番居心地の良い場所―五十数年の時空を超えて―

同業者で仲のいいS税理士とお酒を飲んでいた時の話である。

我々税理士仲間にも理系出身の人は意外に多い。

S先生も理系の出身である。

 

その彼が、コロナがあけて久しぶりのリアル大学OB会が開催され、そこで飲んでいた時の話が出た。

ここ数年、なかなかリアル飲み会を開くことができなかったせいか、その日は大いに盛り上がったらしい。

そんなときの話題は、やはりみんなの得意分野ということになるそうである。

工学系の彼らは、車のエンジンの話から内燃機関がどうのこうのといった、専門的な分野の話題に花が咲いたようだった。

そのときのことを思い出しながら、S先生は

「久しぶりに、好きなジャンルについて思いっきり話ができてので、すっごく楽しかったなあ・・」

と、少し遠くを見るような目で私に話してくれた。

気の置けないかつての仲間とのひとときは心底楽しかったらしい。

 

そんな彼の様子を見ながら私は『それって、すごくわかるよなあ・・』と、心の中で思った。

そうなのだ。

なんといっても、やはり学生時代なのだ。

あの頃、同じ釜の飯を食った仲間というのは、他とは違う独特な連帯感がある。

S先生は今、税理士家業で生計を立てているのだが、その本質はやはり理系の人間らしく、工学系の話題に触れているときが一番リラックスして楽しいというのである。

私は、彼のように専門課程でどうのこうのというのはないけれど、思春期の頃、同じようなことで悩んだ連中とあの頃の話をしているときが一番リラックスできているのかも知れないなあ、と思った。

 

少し前の話になるが、今年の夏、私も久しぶりにリアル同窓会に出席した。

コロナ前までは毎年定期的に開催していたのだが、このところそうもいかず3年ほど飛んでしまっていた。

毎年開いていたときは、2,30人くらいの出席だったのが、みんな待ちわびていたのか、今年は50人くらいの集まりとなった。

もはや、すべての同級生が70歳を超えている。

にもかかわらず、こうやって集合すると、みんな一挙に50年以上過去にワープするのだ。

一緒に過ごしたのは、たったの6年間(中学から)或いは3年間(高校からの合流組)だったのに、これだけの年月を経た今でも、当時の新たなエピソードが発掘される。

「えーっ、お前あのときそんなことやっちゃったのかよ。いやー、今の今まで知らなかったなあ。」

「へえーっ、優等生のお前がそんなことで悩んでいたとはねぇー。」

といった会話があちこちで飛び交うのだ。

 

で、本当の面白くなるのは、この大勢の1次会が終わって、三々五々気の合う奴らと2次会へと繰り出した後になる。

そこで飛び交うかつてのエピソードはよりディープなものになってくる。

「えぇーっ、そうだったの。お前、ばっかじゃねーの、ワッハッハ」

「じゃかましいわ。しょうがねえだろ。あの頃は、女心なんて何にもわからなかったんだからよー。」

てなやりとりになるのだ。

いつもそうなのだが、私はこういう時間が、生きていて一番リラックスできるひとときかも知れないな、と思う。

そう、例えば温泉の大浴場などに身体を沈めたとき、全身の筋肉がユルーっと解放されて、思わず「ああーーっ」と声が出てしまうあの気分に似ている。

昔なじみの気の置けない連中と、何の忖度も気遣いもいらない会話が弾むとき、己の精神のすべてが、それこそユルーッと解放されて、「ああ、心底楽ちんな気分だ。」と思えるのである。

冒頭のS先生も、きっとそうなのだろう。

何の利害もなく忖度など必要のない昔の仲間と、自分が最も好きだった分野について大いに議論を交わす、こんなシーンが男にとって一番居心地の良い場所なのかも知れない。

ん?!? これって男も女もないか・・・・

いい年したおっさんばっかですけどね。