好きなものに囲まれて、てぇーのがいいんだ―あえてアンチ断捨離宣言、シンプルライフもいいとは思うけれど・・―Ⅲ(おしまい)

自らも「断捨離」は必要と認めてはいるものの、いろんなものをそぎ落として完全にスッキリとした生活に、というのもなかなかなあ・・と思っている私。

余計なことにもあれこれと手を出しているのであります。

 

と、まあ、ここまでごちゃごちゃと書いてきたが、私自身は着ること食べることなどあれこれ楽しみながら生きている。

もちろん仕事は大事であり、私の人生の一角を占める大きな要素の一つであることは間違いない。

 

しかし、ここに注力するあまり、例えば服について考える楽しみや実際着る楽しみ、食べる楽しみといったことを切り捨てるつもりはない。

そのことが今の私にとって、仕事とトレードオフになるとは考えられないのだ。

 

私の友人に、いろいろ多趣味で特にオーディオではすごい装置を揃えている奴がいる。

彼は、別荘も持っているのだが、その中に専用の広い空間(オーディオルーム)なども作ってしまった。

当然、持ち物の量は一般的な暮らしの人よりもかなり多くなっている。

 

その友人と「断捨離」について話していたら、彼は

「「断捨離」なんてクソくらえ!生きて楽しめるうちは、好きなものに囲まれて暮らすんだ。」

と言っていた。

まあ、私は、彼ほどに言い切る自身も決意もない。

 

しかし、近頃の「断捨離」の本など見ていると、どうにもやり過ぎているように見えて

「そんなみじめな暮らし、してみたいのかよ?」

と思えるようなものも多い。

なんか、極端に振れているような気もするのだ。

 

考えてみれば「断捨離」というのは手段である。

何にしても、今よりもいい状態を目指したいから取り組む作業だろうと思う。

 

先述のように、モノの多さが何かほかの大事なこととトレードオフの関係になるのであれば、取り組んでみるべきだろう。

そうすれば、現在の悪い状況が改善されることは間違いない。

 

だとしても、それ自身が目的化しては意味がないと思う。

そうやって改善された状況からさらに高次元の目指すべき何かがなければならないはずである。

 

まあ、私の場合、仕事上のアイディアを出したり、こんな風にものを書いたりということを大いにやりたい方なので、もうちょっと身辺が片付いたらなあ、と思わないではない。

で、ときどき、身の回りを整理整頓したりはしているが、「断捨離」を強力に決行、といった境地にまでは至っていない。

 

一度、「断捨離」しまくる、といった極端なところまで振り切ってしまわないと見えない世界もあるのかもなあ・・と思いつつ、

「ある程度好きなものに囲まれて暮らしている今の生活が、それなりに充実していていいや。」

ということで、当面このまま行こうと思っているのである。

お部屋をスッキリ片付けてっと。

 

おしまい