洋服選びと仕事への集中はトレードオフか?―あえてアンチ断捨離宣言、シンプルライフもいいとは思うけれど・・―Ⅱ

着る服なんかにこだわらなかったスティーブ・ジョブズやザッカーバーグを見習えと言われても、凡庸な世界に生きる我々は、天才かつ変人である彼らとは同じようにはいかないのではないか、というのが私の意見だった。

さて、ここで私が何を言いたいかといえば、シンプルな生活が推奨される一方で、モノを持つ、或いはモノを収集する喜びというのもあるのではないか、ということである。

 

「断捨離」というのは大きなブームだったし、それは今も続いているようである。

冒頭に紹介したエッセイに限らず、モノを持たないシンプルライフ推奨の講演やセミナー、それらを紹介するユーチューブなどは頻繁に見られるようになった。

また、この趣旨の書籍なども数多く出版されている。

 

ところで私と言えば、田舎ゆえにかなりデカい家を建ててしまって、多くのモノに囲まれて暮らしている。

そんな私にも、「これを何とか減らさなくちゃ。」という思いは強い。

 

「断捨離」は私にとっても、魅力的なコンセプトであることは間違いない。

いずれと言わず、今からでも少しずつこれらのモノを何とかしなくては(減らさなくては)、というのは私にとって大きなテーマなのだ。

 

しかし、冒頭のエッセイのように「服なんて一種類で構わない。」というのは極端な話である。

「ビジネスに集中していたら、そんなこと(その日の服選び)などに頭を使っている余裕はないはずだ。」

というのも、いささか偏り過ぎているとしか思えない。

 

世の中の人々にとって、服を選ぶというのはそんなに面倒な作業なのであろうか。

服を選ぶことと仕事に集中することがトレードオフの関係であれば、上記の理屈は成り立つ。

しかしそれは、先述の人物たちのような先端的なビジネスといった世界に極度に集中しているなどのケースを想定しての話であろう。

 

話はちょっと逸れるが、これは世にいうオタクの世界ということになるのかな、と思う。

とすれば、確かに「ファッションセンスに優れたオタク」などと言う人種が世の中に存在しないであろうことは私にも理解できる。

 

普通は、仕事も含めた総合的な生活空間の中で、あれこれと余計なことにもちょっかいをだしたりしつつ、バランスをとりながら我々は生きている。

そこでは、着ることや食べること、何か楽しんだり気を抜いたりすることが必ずしもビジネスとトレードオフの関係になるわけではない。

「余計なこと」の中には、気分転換、栄養をつける、或いは英気を養う、という要素も含まれると思う。

あれこれ楽しまなくっちゃあ、ですよ。

つづく