「優先順位」について改めて考える―今の世の中おかしくないか?―
「優先順位」が大事、といわれるが・・・?
よく言われる言葉に「優先順位こそ重要である。物事を決めたり考えたり、行動起こすときには、まず優先順位ということを事前にちゃんと想定しなければならない。」といったものがある。
「優先順位」こそ、あまたある判断基準の優先順位の一位にくるという、まさに言葉遊びみたいな話である。
他人の不倫なんて関係あります?
ところで、昔からこんな風に言われているにもかかわらず、世の中そのようになっているのかどうかについては、甚だ疑問である。
優先順位というものがきちんと守られているだろうか。
例えば今、巷では広末涼子の不倫問題の話題でもちきりである。
しかし、ちょっと考えてみればわかることだが、広末涼子が不倫をしようが何をしようが、我々の生活には何の関係もないし、何の影響もない。
にもかかわらず、メディアなどは多大な時間とエネルギーを割いてこのことを報道している。
まあこれは、メディア側の優先順位のつけ方がおかしいじゃないか、と非難する前に、そんな情報に関心の高い大衆の方に疑問を投げかけるべきなのかも知れない。
メディアは単に視聴率や部数が伸びればいいのだ。
向こうはどこまでも商売なのである。
社会的影響の有無
芸能人やアイドルの動向は、一般大衆に対して一定の影響力があるのだから報道するのは仕方がない、という事実はあるにはある。
例えば、昔、或る少女アイドルが自殺したとき、同世代の少女たちの後追い自殺のような現象が激増したことがあった。
そういう意味では、芸能人のスキャンダルも馬鹿にできないところもある。
ただ、不倫だ浮気だ、というのはどうだろう。
社会的影響が極めて深刻である、とまで言えるだろうか。
少なくとも私には何の影響も与えない。
大抵の人にとっても同様であろう。
にもかかわらず、一定の視聴率が取れたり週刊誌などの部数が伸びたりするのは、そんなことに、ある程度関心のある層が存在するからだろう。
政治の劣化は・・・
例えば、日本の「国家」という単位で考えたとき、もっと重要な考えるべきこと判断すべきことなどいくらでもある。
しかし、多くの人々の関心事はその優先順位に沿ったものにはなっていない。
どーでもいいことに一喜一憂しているのが現実である。
社会生活面もそうだが、特に政治においてその現象は甚だしい。
国の本当に重要な案件はほとんど討議されることもなく、まさにどーでもいいようなことばかりが追求され話し合われ決定している。
優先順位のつけかたが狂っているというより、なにか意図的にそう成されているのではないか、という気さえしてくる。
実際、そんな意図が働いているのではないか、と私は疑っているのだ。
正しい情報をとらなければ・・
この、世の中に蔓延している「おかしな優先順位のつけ方」に疑問を呈し、声を上げ、是正に持っていくのは国民の意識の問題ではないだろうか。
メディアの報道は、ほとんど「どーでもいいこと」の垂れ流しに過ぎない。
そんな中からも、重要な案件を峻別し、きちんとウォッチングしていく必要がある。
それでも足りなければ、他の方法を使ってでもまともな情報を取るように心掛けていく必要があるのだ。
そんなことを強く感じる今日この頃である。
メディアはまともな情報を流しやがれ!!
(写真と本文の内容には特に何の関係もありません。)