真面目な日本人、私は極めて少数派―「ジョーク」について考えてみた―Ⅲ(おしまい)
「世の中、ジョークを飛ばす人間と、まるで言わない人間の2通りに分かれる。」と考えている私だが、数の上では劣勢のジョークを飛ばす方に所属する私に対して、我が家の女性陣の態度はおおむね冷たいようで・・・
さて、身内であるあの連中との関係はさておいて、肝心なのは、外でのいろいろな交流の場面である。
ここではやはり、軽いジョークを交えた滑らかで柔らかなコミュニケーションといった世界の実現が望ましい、と思っている。
冒頭の話に戻ろう。
「世の中にはジョークを飛ばす人間と、全く言わない人間の2通りがある。」と書いた。
私はジョークを飛ばす人間の方が少数派だろう、と思ってはいたが、改めて振り返ったとき、その差は私が想定していた以上である、ということに気づかされた。
「あれっ、日本人にはジョークを飛ばす人間はほとんどいないんだ。」
ということに気がついたのである。
これは相当意外な事実であった。
手前味噌かもしれないが、日本人ももっと会話の中にジョークやユーモアを交えた方がいいのではないかと思う。
例えば業界で言えば、私とジョーク交じりに話をするのはH先生一人だけである。
ほかに思いつかない。
なので、彼とちょっときつめのジョークを交えながら話をしていると、業界仲間はみんな驚いているようだ。
「先生たち、仲が良いんですか!?それとも悪いんですか?!」
などと聞いてくる。
彼らには、ジョーク交じりに会話を進める愉快さがわかっていないのだ。
ところで、先述した私の事務所の副所長を「影のボスであります・・・」というのは一種の比喩である。
もちろん、本当のボスではないが、いろいろと大事な職場の采配を任せているということでは、あながち嘘ではない。
「影のボス」というのが、私なりに彼女の立場を表現した例え(比喩)であるのは言うまでもない。
つまり、ジョークやユーモアというのは、巧みな比喩が重要な要素となるのである。
言い得て妙なる比喩が、センス良くある物事や現象を表現できていれば、人はそのことを一瞬で把握し、しかも笑いながら理解することが可能になる。
こういった会話の上での膨らみ、余白のようなものが日本人には少し足りないのではないか、と思うのだ。(関西ではそれが行き過ぎている、という話もあるけれど・・・)
恐れ多くも「影の所長」にお酌をしていただいております。
この点において、私が極めて優秀な喋り手であるなどという気はさらさらない。
しかし、「ジョークを交えて会話をする人が少ないなあ・・」という私の分析を少しでも解消するためには、日本人ももっとジョークやユーモアについて考えてみてもいいのではないか、と思っている。
空中に浮いているのがわかります?
もちろん、冗談ですけど・・・
おしまい