自分の全責任で決断するしかない―経営者は孤独である・・は本当か?―Ⅲ(おしまい)

さて、女性詐欺師の話から冒頭の「経営者は孤独である?!?」というテーマに戻ろうと思う。

ここで思うのは、その孤独な経営者の皆さんは、

「難しい判断を迫られた時、前述の尾上縫のような怪しい人物にでも頼りたくなるのだろうか?」

ということである。

 

「孤独である」ということと「ご宣託に頼る」ということとの間には、もちろん、若干のズレがある。

しかし、私は「経営者は孤独である」のフレーズを聞くとき、必ず思い出すのが前述の尾上縫のエピソードなのだ。

 

私も何かの最終決断を下すとき、エイヤッと運を天に任すような気持で決めることはあるが、どこぞの神様か祈祷師のような存在に頼りたいと思ったことはない。

あくまでも自分の全責任で決断するしかないと思っている。

 

そんなとき、

「経営者は誰にも頼れない孤独な存在なんだよなー・・」

などと思うこともない。

最終的に自分が決める、というのは当たり前の話だからである。

 

そもそも経営には何が正解かわからないところがある。

本屋の経営書コーナーに行くと「部下はちゃんと叱ってこそ成長する」という本の隣りに「社員を褒めて伸ばすのが名経営者」といったタイトルの本が並んでいたりする。

 

経営トップは、自分なりの「型」とか思想、哲学、をもって自社の経営に当たるしかないのだろう。

その確信が持てないとき、或いは確信をもって当たったにもかかわらずうまくいかなかったときとかに、ことさら「孤独感」を感じるのだろうか。

 

私が「経営者は孤独である」という言葉に違和感を覚える、もっと言えば好きになれないのは、基本的にネガティブでちょっと情けない印象を受けるためだろうと思う。

まあ、本来はそんな(ネガティブな)意図で使われているわけではないのかも知れない。

しかし、私は今のところ、そんな感覚を持ったことがないし、この先当分持つこともなさそうである。

 

日々、相当勉強をしていなければ、判断を誤りそうな難しい世の中である。

特に経営においてそう思う。

だからといっていちいちネガティブな気分になることもないだろう。

 

幸いにして、私はいいパートナーや部下に恵まれている(と、こっちは思っているが、向こうはどう思っているかわからない・・)。

まあこの先も、こんな調子で、ポジティブでハッピーな気分で仕事に取り組んでいけば、下手に「孤独感」など味わわずに済むのかも知れない。

 

孤独なんすかねぇー?!?

後ろのおネエさんが気になります。

 

おしまい