仕事における「粘り」について考える―一輪車はクソの山に登る・・過酷な労働につぶされそうになった青春の日々―Ⅶ

農業従事者というか一次産業従事者の現場における粘りというか底力というのはすごいな、と様々な場面で知ることとなった私。

今回は、一次産業以外のものも含めて、仕事における「粘り」について、ちょっと話はそれてしまうけれど書いてみたいと思う。

 

現在私は、三次産業であるサービス業としての税務会計業務という分野を担当している。(「サービス業」と言い切ることに関しては異論のある方もいるようではあるが・・・)

この仕事において「粘る」場面というのは、どんな時に現れるであろうか。

 

いろいろあるとは思うが、次の二つの場面が考えられる。

それは「何かの法則なり解釈なりを追求するとき」と「対外的な交渉の場面」である。

 

前者は、どういうことかというと、「税法」という枠の中で仕事を提供している以上、その枠を外れることは許されない。

しかし、どういう法律に当てはめたらいいか、どんな解釈が妥当か、というのは専門家であっても迷うことが多い。

そんなときは、粘り強く妥当な線を追求していく必要性があるのだ。

 

様々なデータ、文献、判例などに始まって、ときにはその分野の専門家に直接聞いたりしながら追求していくのである。

そういった「粘り」がなければ、顧客に対していい仕事は提供できないのだ。

 

後者の「対外的な交渉」というのは、私の場合、顧客との交渉を指す。

その中で主に想定されるのは、新しいシステムや技術の提案、それにともなってこれまでとのやり方を変えていく、などのケースである。

 

特に近年、会計の世界においてもテクノロジーの発達はすさまじく、コンピュータの機能はぐんぐん上がっているし、それがネットで繋がれた世界では、多くのことが実現可能になった。

コロナを機に、我々の仕事がオンライン上でかなりの部分実践できることも確認された。

 

問題は、これらのテクノロジーをこちら側で把握しても、それをお客さんに伝えることがなかなか難しいということである。

大抵の場合、お客さんは保守的であり、事務系の効率化のような話でさえ簡単には受け入れようとしない。

 

こんなときは、あらかじめ提案という形でくさびを打ち込みながら様子を見て、機会あるごとに粘り強くお勧めしていくしかない。

そのうち、周りの環境も変化してきてようやく受け入れてもらえる環境が整ってくる。それまで、あきらめないマインドが大切なのだ。

電卓と決算表

 

つづく