「おめえ、一輪車の扱いがわりとうめえな。」―一輪車はクソの山に登る・・過酷な労働につぶされそうになった青春の日々―Ⅱ

北海道の牧場に住み込みで働くことになった私。

仕事場は乳牛がズラリと並ぶ牛舎であった。

牛たちの後ろに回ると、盛大に放置された糞の山があった。

 

北海道に着いたその日から、私のメインの仕事は、この糞をシャベルですくって一輪車に積み込み、牛舎の外にうずたかく積まれた糞の山にさらに運びこむことだったのである。

この仕事を与えられた私は

『なるほど、これだったら喜んで従事する人間とかいるはずもないな。年中、人を募集しているわけだ。』

と、妙に納得したのを覚えている。

 

それまでの人生で、一輪車なんて一度も操ったことはなかったので、最初はバランスを取るのが難しかったがすぐに慣れた。

牛たちが盛大にひり散らかした水分を充分に含んでずしりと重いその糞を、一輪車に積み込み外へと運び出すのである。

 

牛舎の外の敷地内にうずたかく積まれた糞の山は、すでに家一軒分くらいの分量になっており、新たに運び込んだ糞はそのてっぺんに捨てなければならない。

山の下からてっぺんまでは、幅30cm長さ2mくらいのメッシュになった鉄製の板が何枚も敷かれており、その上をひっくり返らないようにバランスを取りながら登るのである。

 

てっぺんに着いたら、一輪車を左右のどちらかに傾けて、中の糞だけをひっくり返すのだ。

このとき、うっかりすると一輪車ごと糞の山に落っこちてしまいかねない。

そうなると、足元の柔らかい糞の山から、鉄製の一輪車を引き起こすのは大変な作業になる。

 

初めのうちは何度か失敗もしたが、やがて慣れてうまくひっくり返せるようになった。

牧場主に「おめえ、一輪車の扱いがわりとうめえな。」と褒められもしたが、それほどうれしくもなかったことを覚えている。

 

当然ではあるが、毎日大量の糞を積み重ねていくので、その山はだんだん高く大きくなっていく。

作業には慣れていくものの、高さと難易度も次第に上がっていくために、毎日が牛の糞との格闘であった。

糞の山はやがて2階建ての家一軒分にもなった。

 

その糞の山のてっぺんで、一息ついて360度の眺望に目をやると、北の大地はどこまでも広く、

「ああ、このイメージだけで北海道に憧れて来る人間もいるんだろうな。でも、俺の足の下に踏みしめているのは牛の糞の山なんだ。」

などと、ちょっと複雑な感慨にふけることもあった。

 

こうやって牛の糞を片付ける仕事は、一日の中で早朝と夕方の2回必ず行なわなければならなかった。

そして、1年365日1日も休むわけにはいかない。

酪農という仕事の大変さをいやというほど味わった。

地平線に夕日が沈む。

つづく