「持つのが好き」という前に「買うのが好き」―ファッション雑感シリーズ2「着道楽」?楽しく、面白く生きるのが、私の人生の目標(by石津謙介)―Ⅰ

【着るのが好き?見るのが好き?】1

「着道楽」は「着道楽」というくらいだから、服を着ることが好き、という結論になるはずである。

しかし、厳密に考えてみると、「服が好き」といってもいろいろなパターンがあるかも知れないな、と考えた。

ここのところを分けて考えてみれば、結構「着道楽」の本質が見えてくるのではないか。

と、まあその本質を探ったところで、何の役に立つというわけでもないのだが・・・・

 

服好きは「見るのが好き」「買うのが好き」「持つのが好き」「着るのが好き」といった分類ができるのではないだろうか。

もちろん、これらはシンクロしており、どれか一つということはあり得ない。

しかし、いずれかにやや偏っている、ということはありそうである。

 

例えば「持つのが好き」なんてあり得るのかいな?!?と思う人はいるのではないだろうか。

「服好き」はわかるけれど、

「持ってるだけでなんになるというのだ!意味が分からん!」

となるかも知れないと思う。

私もそう思う。

「とにかく着なきゃあ意味がないだろう!」

と。

 

しかし、こういう話もある。

あの有名な野球の野村監督が亡くなったとき、遺品を整理していたら、買ったときの袋に入った状態で、タグなどもそのまま、まだ一度も着てもいないどころか、包装を開けてもいない洋服がいっぱい出てきた、というのである。

 

まあ、お金には困っていなかっただろうから、好きな服などいくらでも買えたことだろう。

だから、「持つのが好き」という前に「買うのが好き」という人だったのかも知れない。

 

野村監督について「買うのが好き」というのは、別のテレビ番組でも見たような気がする。

買い物をする時の、女性店員とのコミュニケーションなどを楽しんでいたのかも知れないな、そこんところはわからないでもないな、とも思う。

 

こういう人は、おそらく何を買ったのかさえ覚えていないだろうから、好きな服を買ってそれを持っているのがうれしい、ということもないのではないか。

だから厳密には「持つのが好き」とすらいえないのかも知れない。

まあ結果として、いっぱい「持っていた」ことだけは確かなようである。

 

テレビなどに映る姿は、さほどお洒落な人にも見えなかったから、別に「服好き」でも「着道楽」でもなかったのではないだろうか。

ファッションを強く意識しているといえば、長嶋監督の方がよりその傾向が強いように思える。

 

行きつけの美容室で髪を切ったあと

撮ってもらったコート姿の一枚。

つづく