生理的なメソッドをちゃんと守ってみよう―身体を動かすことの意味を考える・・・思考に直結する効果―Ⅱ(おしまい)

休んでしまった、或いは活動停止してしまった「脳」を、活性化させるには身体を動かすのがいい、という「智恵」をユーチューブで知った私。

「そういえば!」と、東京に来たときには割と「書ける」自分に思いが至る。

 

考えてみれば、上京したときは、朝早くからなんだかんだと忙しく身体を動かしている私がいる。

行動パターンそのものが、脳に刺激を与えるということについて、理にかなっているようだ。

 

そうすると、逆のパターンがあることにも気がついた。

先述したように、田舎で暮らしていて、特にコロナ禍に入ってから「書く行為」そのものがなかなか叶わなくなってきた。

 

それは、

「行動範囲が限られているため、身の回りで、話の「ネタ」になるような「事件」が起きないからなんだ。」

と思っていたが、よく考えてみればそれだけではない。

そもそも、ウィークデーの過ごし方は、コロナ禍であろうがなかろうが、そんなに変わらないはずである。

 

それでも、業界の例会とか、そのほかの集まりなどは激減してしまった。

ただし、そのほかの時間は、ルーティンの仕事に向き合っているだけなので、そんなに変わらないのである。

 

なにか、まとまってものを書こうとすれば、週末に集中することになる。

以前もそうしていた。

 

しかし、最近特に、週末になっても書こうという気になれない。

ダラダラと過ごし、早く書斎のデスクに向かって、調べ物をしたり書き始めなければ、と思っていても、身体が書斎へとは向かわない。

 

つまり、「身体を動かすことが、脳の働きや気持ちの切り替えに役に立つ」という原則を、まるで守っていなかったことになる。

ゴロゴロ、ダラダラとしている延長で、「さあ、机に向かわなきゃあ。」と、気持ちだけ鼓舞しようとしてもうまくいかなかったわけである。

「ネタ」だけの問題ではなく、生理的なメソッドをちゃんと守っていなかったからなのであ。

 

ということで、正月明けには田舎に帰り、また日常の生活が戻ってくる。

コロナ禍は、まだ完全に収束しそうもない。

そんな中で、ものを考え、記述するという以前のパターンを取り返すには、「脳」が活動停止しそうになったら「身体を動かす」というメソッドを実践することである。

 

人間、暑くても寒くても身体を動かすのは億劫だ。

まだまだ、寒い時期は続くだろうが、このメソッドを実践することで以前のパターンを取り戻そうと思っているのである。

 

 

早朝からオープンしている広尾のカフェで、

震えながら書いとります。(寒いんですよ)(T_T)

 

おしまい