「実践」の前に「情報発信(アウトプット)」を提案する―ドラッカーの学習を通じて学んだこと―Ⅰ
経営者の中にはドラッカーを勉強したり研究している方は多いと思います。
私もその端くれで、久しぶりに何冊か手元にある彼の著作を改めてめくってみました。
すると、カラーマーカーで引っ張った傍線や付箋だらけで、いかに彼の著書に影響されたかが、ちょっと振り返っただけでもよくわかります。
先日、インターネットで経営に関するいろいろな記事を読んでいる中で、やはりドラッカーに関するコラムを見つけました。
書かれていたのは、ドラッカー学会理事の佐藤 等氏で「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」という著書からの抜粋でした。
このコラムの中で佐藤氏は、ドラッカーの教えの神髄に当たる部分に触れられていました。
中でも、私が特に興味を惹かれたのは「情報」に関する考察でした。
それは以下のようなものです。
―ドラッカーの学びのプロセスは、大きく分けて二つです。
第一に、情報を取得すること、すなわち記憶することです。
「われわれは情報を、頭を使わずに答えられるようになるまで反復することによって習得する。記憶する。言葉を学ぶのはこの方法によってである。九九を覚えるのもこの方法によってである」(『断絶の時代』)
情報は能力ではありません。
ピアニストならば、音階やテンポという情報を記憶することです。
ドラッカーは、情報と知識と能力の関係を次のように述べています。
「知識は、本の中にはない。本の中にあるものは情報である。知識とはそれらの情報を仕事や成果に結びつける能力である」(『創造する経営者』)―
ここでは「情報」のインプットに関して書かれています。
「情報」の習得がまずなければなにごとも始まらないからです。
しかし、ドラッカーは「情報」を「知識」と同列に置いていないところが興味深い点です。
つまり、「情報」はインプットした時点ではまだ素材であり、煮たり焼いたりして手を加えなければ我がものにはならない、ということです。
それは反復であったり、単調な練習の連続であったりということなのでしょう。
ドラッカー以外にもいろいろと・・・・
つづく