昭和の経営観では通用しない―自分という人間とそのポジションを考えてみる―Ⅲ(おしまい)

小学生の頃、意図せずして敵がいたらしい私。

あの野郎、同じ中学に上がってきたら、きっちりととっちめてやる、と待ち構えている年上の連中がいた、という話を人づてに聞いた。

 

幸いにして、町から離れた私立中学校へ進学したので、その暴力沙汰は避けることができたが、そんなことに巻き込まれていたらどうなっていたのだろう、と今にして思う。

ただ、あの頃、なんでそんなに目の敵にされたのかはいまだにわからない。

 

と、そんなことを考えていたら、今でも似たような状況じゃないか、と思い至った。

仕事を通じて地元とのお付き合いはあるのだが、私とどうしてもそりの合わない、という経営者の方は一定いるようなのである。

 

仕方がないさ、と思うものの、どこがそんなに合わないのかがわからない・・・

というのは、まあウソで、本当はなんとなくわかってはいるのだ。

 

おそらく、これまで営々と続いてきた地元の価値観とか経営観とかに対して、極めて否定的な見解しか持っていない私に対し、あの方たちは、本能的なところで違和感を感じているのだろうと思う。

もちろん、こちらが否定的になるのにはそれなりに理由はある。

 

そういった価値観はすでに過去のもので、現代の経営において成功発展したければ、その発想をチェンジする必要があるからだ。

昭和の経営観では、もはや現代のビジネスには通用しない。

 

小学校の頃は、あいつは生意気そうだというので、地元の年長者の連中から標的にされた。

今は、ビジネスに対する価値観や経営観の違いで、なにかしらの嫌悪感を持たれているようである。

 

ただ、少しだけ言いわけをさせてもらうとすれば、現代的な感覚を持つようにした方がいいですよ、というのは、地元企業のために随分言い続けてきた。

それも、嫌みな言い方や厳しい言い方ではなく、自分としては優しく言ってきたつもりである。

 

とにかく変わっていただかなければ、道は開けない。

そう思って伝え続けてきたのだ。

しかし、異質分子はどうしても受け入れられないようである。

 

小学校の頃も私は、一種の異質分子だったのか、と今にして思う。

いかにも地元っ子らしい年上の連中とそりが合わなかった。

 

60年以上も続くこの戦い、いつになったら収拾できるのだろうか。

 

 

おしまい