「判子文化」にゲンナリ―ゲシュタルト崩壊を起こしそうになった話、もちっと工夫はできないのか!?!―(おまけ)
母の介護関係の書類を、医療関係機関と自治体に提出する際に、母と私の名前と住所を繰り返し繰り返し20回近く書かされて、同じ文字の登場回数の多さにあわや「ゲシュタルト崩壊」を起こしそうになった私。
そのうんざりする気持ちも治まらないままに、また、これに似たような経験をさせられる羽目になったのです。
母の手続きが終わって、1ヶ月経つか経たない頃、私の事務所は法人化の手続きに入りました。
このブログも間もなく、様相を一新したHP(ホームページ)に掲載することになりそうです。
さて、その設立に際して面倒だったのは、お役所や業界団体(私の場合は「税理士会」になります)だけではありませんでした。(こっちの方の主な手続きはパートナーである女性税理士が尽力してくれましたので・・)
その面倒さが私にもろに降りかかってきたのは、金融機関だったのです。
銀行関係の口座の名義や借入金の名義を、個人から法人へと書き換えなければなりません。
とはいっても、事務所の実態が何か大きく変わるわけではなく、組織としては、しっかりとした運営ができるようになるだけです。
にもかかわらず、金融機関に対する提出書類の多さと煩雑さにはゲンナリしました。
今回、特に感じたのは「判子文化」という奴です。
日本においては、あちこちの書類提出の場面で「印鑑」が必要なことはご存知の通りです。
この煩わしさが、何かと批判の的になっていることもまたご存知ではないかと思います。
朱肉をつけてペッタンとハンコを押さなければならない慣習は、IT化からは最も遠い事務手続きとして、日本のビジネス社会で変革を求められている最重要課題の一つでしょう。
今回、その非効率性、不合理性にもろに出くわすことになったのです。
銀行への提出書類には、3パターンの印鑑が必要になります。
認め印、銀行印、実印の3種類です。
「認め」で済む場合は、銀行印でも実印でもいいのですが、この二つは何かと大事な場面で必要になりますので、普段はきちんと保管しています。
ということで、大抵の事業所では、この3種類を使い分けているのではないでしょうか。
今回、事務所の法人化に際して、いつもに増して必要とされたのは実印でした。
しかも、印影が少しでも薄かったりすると、押し直しになるのです。
押す場所も多かったので、何回も「押し直し」になり、しまいには担当者がやってきて目の前で「うんしょ!」と力を入れて押してくれました。
印鑑を何十回も繰り返し押すことで「ゲシュタルト崩壊」を起こしそうになりはしませんでしたが、相当うんざりしたことは確かです。
こういった手続き関係も、もっと自動化、デジタル化が進まないと、日本は世界においていかれるなあ、と感じた一コマでした。
彼女が活躍してくれまして・・・・
おまけもおしまい